ガラスから光ファイバーへ:中国サプライチェーン進化を支えた二人の物語
なぜ今、「中国サプライチェーン」を見るのか
2025年の今、私たちが手にするスマートフォンや、動画配信を支える高速ネットワークの多くは、中国本土を中心とするサプライチェーンの上に成り立っています。国際ニュースとして語られる「中国の台頭」は、ときに抽象的に聞こえますが、その裏側には一人ひとりの技術者や起業家の物語があります。
本記事では、時計用ガラスから世界的なスマホ向けガラスメーカーへと成長した周群飛(Zhou Qunfei)と、光ファイバーケーブルの制御ソフトを国産化した鍾昇(Zhong Sheng)という二人の歩みを通じて、中国サプライチェーンの進化を読み解きます。
「世界の工場」から技術ハブへ:中国産業の変化
1990年代の中国は、海外の技術と安価な労働力に依存する「世界の工場」として知られていました。多くの工場は外国製の設備や部品に頼り、国内企業は組立や加工の役割にとどまっていました。
しかし2000年以降の約20年間で状況は大きく変わります。グローバル化が進むなかで、中国本土は教育への投資、研究開発(R&D)の強化、インフラ整備を進め、ハードウエア、半導体、先端素材などの分野で国産企業を育ててきました。
その結果、2000年以降の20年で世界の製造業付加価値に占める中国の比率は、およそ6%から30%超へと5倍に拡大したとされています。特にテクノロジー分野では、光ファイバー、スマートフォン向けパネル、リチウム電池といった重要部材で存在感を高め、現在のグローバルサプライチェーンに欠かせない拠点となりました。
時計用ガラスからスマホ画面へ:周群飛の物語
周群飛が中国南部の深センで小さな工房を構えたのは1993年。当時まだ若かった彼女は、貯めたわずかな蓄えを担保に三部屋のアパートを借り、そこを時計用ガラス印刷の作業場に変えました。中国製造業全体がそうであったように、彼女のビジネスも当初は海外技術に頼りながら、低コストでの生産を目指すところから始まります。
周は湖南省の農村で生まれ、16歳で学校を中退して深センへ出ました。工場で長時間のシフトをこなしながら、夜は会計やコンピューター、トラック運転などの講座に通い続けました。こうした地道な学びが、のちの起業と技術革新の土台になっていきます。
転機は2001年前後に訪れます。中国の電子機器市場が急速に拡大し、携帯電話が一般にも普及し始めたころ、周のもとに友人から家電大手TCLの携帯電話パネル加工の仕事が舞い込みました。当時主流だったアクリル樹脂パネルは傷つきやすく、改善が課題となっていました。
周は、時計用ガラスで培った技術を携帯電話に応用することを提案します。つまり、アクリルではなくガラスを使うという発想です。業界の「外側」にいた彼女だからこそ、既存の常識にとらわれずに提案できたともいえます。チームと共に多くの試作と実験を重ねた結果、ガラスパネルの実用化に成功し、事業は大きく動き出しました。これが、後に世界的なスマート製造企業へと成長するレンズテクノロジー(Lens Technology)の始まりでした。
さらに2007年、アップルが初代iPhoneを発表すると、周の会社は一気に世界の注目を集めます。彼女のチームは、イオン交換という手法を用いて、極めて薄く、傷に強いガラスを量産できる技術を確立し、アップルの厳しい品質基準をクリアしました。このとき築いた技術と信頼により、同社はスマートフォン向けタッチスクリーンガラスの分野で支配的な地位を確立します。
現在、レンズテクノロジーは時価総額1,000億元規模の企業となり、2,200件以上の特許を保有するとされています。事業はスマホ向けガラスにとどまらず、AIグラスやスマート車両向け部材といった新しい分野にも広がっています。時計用ガラスの小さな工房から、世界のデバイス産業を支えるサプライヤーへ──周群飛の歩みは、中国サプライチェーンの高度化そのものを象徴しています。
故障対応から技術自立へ:鍾昇と光ファイバー
周群飛が深センで奮闘していたのとほぼ同じころ、中国中部の武漢でも、もう一つの物語が始まっていました。1993年、鍾昇は長飛光ファイバー光ケーブル(Yangtze Optical Fibre and Cable、YOFC)に保全担当として入社します。当初、工場で稼働していたのは主に輸入されたコンピューター制御の設備で、鍾は操作や修理に苦労しました。
1996年、工場の生産に不可欠なフィンランド製のコーティングラインが故障します。本来であれば海外から技術者を呼び、高額なコストと時間をかけて修理する必要がありました。ところが鍾は、マニュアルや回路図を読み込みながら一人で原因を探り、48時間で修復に成功します。これは「外部に頼らず自分たちで問題を解決できるのではないか」という手応えをもたらしました。
この経験を機に、鍾は海外企業の技術独占を打ち破ることを目標に掲げます。彼が中心となったチームは、光ファイバーケーブルの生産を制御するソフトウエアを、ゼロから国産技術だけで開発するプロジェクトに挑みました。当時は技術関連の制限や情報不足もあり、開発環境は決して恵まれていませんでした。鍾自身、過重労働で視力の低下に悩まされるほどの負担を抱えながらも、粘り強く開発を続けます。
プロジェクトは2年かけて完成し、総コストは5万元未満に抑えられました。外国のサプライヤーが価格交渉に応じない状況のなか、自前の制御ソフトを使った試験運転は成功し、YOFCは老朽化した生産ラインを自力でアップグレードできるようになります。この「国産ソフトによる改造成功」は、他の設備の更新にも応用され、海外依存からの脱却に向けた一つのモデルケースとなりました。
その後およそ20年にわたり、鍾は231件もの技術革新と8件の特許取得を主導し、保全の現場に「根本原因からの修理」という考え方を広めていきます。単に壊れた部品を交換するのではなく、故障の原因を突き止めて構造そのものを改善するという発想です。これにより、生産設備はより安定して稼働し、性能も向上しました。
こうした積み重ねの結果、YOFCは2016年までに光ファイバーの心臓部である「ファイバープレフォーム」の製造技術を自社で確立し、世界の光ファイバー市場で8年連続トップシェアを維持する企業へと成長しました。一人の技術者の粘り強い工夫が、企業の競争力、ひいては産業全体の位置づけを変え得ることを示す事例といえます。
二人の歩みが映す、中国サプライチェーンの現在地
周群飛と鍾昇に共通するのは、「与えられた設備や条件」を前提にするのではなく、「どう変えればもっと良くなるか」を考え続けた点です。時計用ガラスを携帯電話に応用する発想も、輸入設備の制御ソフトを自前でつくり直す挑戦も、当時の常識から見れば大胆な試みでした。
二人の物語からは、中国サプライチェーンの進化を読み解くいくつかのポイントが見えてきます。
- 低コストの組立拠点から、ガラスや光ファイバーなど高付加価値部材を供給する拠点へと脱皮してきたこと
- 輸入設備への依存から、制御ソフトや製造プロセスを自ら開発・改良する方向に舵を切ってきたこと
- 現場の一人ひとりの工夫や改善が、業界の標準や国際的な競争環境を変え得ること
2000年以降、中国の製造業は数量だけでなく付加価値の面でも存在感を増し、光ファイバー、スマホパネル、リチウム電池といった重要部品で大きなシェアを持つようになりました。周や鍾のような人々の試行錯誤が、その背景にあることは見落とされがちですが、グローバルサプライチェーンを理解するうえで重要な視点です。
私たちの生活につながる視点
私たちが毎日手にするスマホのガラス画面や、動画配信やオンライン会議を支える光ファイバーケーブル。その裏側には、深センの小さな工房から出発した起業家と、武漢の工場で制御ソフトを作り替えた技術者の積み重ねがあります。
国際ニュースとして「中国のサプライチェーン」を語るとき、国家間の駆け引きや統計データだけに注目しがちです。しかし、その数字を生み出しているのは、現場で学び続け、工夫を重ねてきた人々です。2025年の今、身の回りのデジタル機器やネットワークを眺めながら、その背後にあるこうした物語に思いを巡らせてみると、グローバル経済が少し違って見えてくるかもしれません。
Reference(s):
From glass to cables: how China became vital to global supply chains
cgtn.com








