曾侯乙編鐘が世界の記憶に 1978年の世界初コンサートが示した未来
2025年4月、湖北省随州市の曾侯乙編鐘がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。その背景には、発掘からわずか2カ月後に行われた1978年の世界初コンサートという、もう一つの歴史的瞬間があります。
2025年「世界の記憶」登録と、1978年の原点
2025年4月17日、随州の曾侯乙編鐘はユネスコの「世界の記憶」登録を通じて、国際社会から改めて注目を集めました。2,400年以上前の楽器が、現代の記憶遺産として評価されたことになります。
しかし、その価値を考古学と音楽の両面から強く印象づけた決定的な出来事は、1978年8月1日に行われた世界初の実物コンサートでした。発掘からわずか2カ月というスピードでの決断と実行は、文化財の扱い方に一石を投じる挑戦でもありました。
地下から現れた巨大な編鐘
排水作業の先に見えた三層構造
1978年春、現在の随州市にある雷故墩の曾侯乙墓では、地下水を下げる排水作業が進められていました。水位が少しずつ下がるにつれ、墓の内部に設置された三層の木枠と、その木枠に吊るされた多数の青銅の鐘が少しずつ姿を現していきます。
やがて、幅7メートル超、奥行き3メートル、高さほぼ3メートルという巨大な編鐘の全体像が露わになりました。三層の木製フレームに支えられた65口の青銅鐘が整然と並ぶ姿は、当時の人々にとって前例のないスケールの発見でした。
音楽学が証明した「一鐘両音」の精妙さ
音楽学者のHuang Xiangpengは、その後の分析で、曾侯乙編鐘が「一鐘両音」という特別な構造を持つことを確認しました。各鐘の正面と側面を打つことで異なる音高が鳴り、しかも当時の文字でその音名が正確に刻まれていたのです。
これは、2,400年以上前に、極めて精密な音律の理解と高度な鋳造技術が存在していたことを示すものでもあります。この発見が、後のコンサート開催の強い動機になりました。
世界初、実物による「考古学オーケストラ」
博物館長の決断と指揮者となった考古学者
当時の湖北省博物館館長だったTan Weisiは、思い切った決断を下します。発掘されたばかりの実物の編鐘を使い、「考古学オーケストラ」とも言えるコンサートを開くことにしたのです。
指揮を務めたのは、主要な発掘メンバーでもあった北京の考古学者Feng Guangsheng。彼の指揮のもと、5トンにも及ぶ編鐘が補強された舞台の上に慎重に組み立てられました。
1978年8月1日、Fengが中段の鐘を最初に打ち鳴らすと、その音は澄んだ水のように会場に響き渡りました。透明感のある高音から、深く豊かな低音まで、編鐘が持つダイナミックな音の広がりが次々と示されていきます。
2時間のプログラムが見せた音域の広がり
コンサートのプログラムは、2時間にわたって多彩な曲目を取り上げました。革命歌の『The East Is Red』、編鐘のために新たに作曲された『Chu Shang』、湖北の民謡『Toad Chant』、アメリカ映画の主題歌『Will You Remember』、そして『インターナショナル』まで、ジャンルも時代も異なる曲が並びました。
古代の楽器で現代の曲や世界各地のメロディーを奏でることで、曾侯乙編鐘の表現力の広さと、音楽そのものの普遍性が浮かび上がりました。
安全確保と保存を両立させた舞台裏
5トンの文化財を動かすというリスク
もちろん、こうした試みは大きなリスクを伴います。編鐘と木枠全体の重量はおよそ5トンに達し、移動や組み立てには高度な配慮が必要でした。考古学エンジニアのYang Ding’aiが中心となり、搬出から輸送、再組み立てまでの計画を一手に担います。
移動させる対象は、65口の鐘、51点のフレーム部材、そして約200点に及ぶ金具や吊り下げ用の部品でした。水を含んだ木材が変形しないよう、2人の担当者が24時間体制で梁の状態を監視し、会場の床も荷重に耐えられるよう補強されました。
綿密な準備のおかげで、コンサートは事故なく無事に終了しました。この成功体験は、貴重な文化財をどこまで、どのような条件で公開し得るのかという、現在にもつながる課題に具体的な一つの答えを示したと言えます。
テレビとラジオが広げた「発掘直後の響き」
このコンサートの様子は、テレビやラジオを通じて中国国内外に放送されました。発掘されたばかりの編鐘が奏でる音色が、そのまま記録され、世界の聴衆に届けられたのです。
Feng Guangshengは、コンサートによって、出土直後の状態をとどめた編鐘の貴重な映像・音声記録が残されたと振り返っています。さらに、この演奏は、完全な編鐘セットの体系的な音響分析という意味でも、初めての試みとなりました。
考古学と音楽をつなぐ「生きた文化遺産」
1978年のコンサートは、単なる一夜限りのイベントではありませんでした。その後の歩みを見ても、その意義は大きく三つに整理できます。
- 発掘直後の状態をとらえた音声・映像記録を残したこと
- 完全な編鐘セットの音域や響きを体系的に分析する基盤になったこと
- 現代の複製編鐘の制作や、世界各地で続く演奏活動の出発点になったこと
こうして曾侯乙編鐘の音楽は、博物館の展示ケースの中だけにとどまらず、現代の舞台や研究現場で生き続けています。2025年のユネスコ「世界の記憶」登録は、その長い流れを国際的に認める節目となりました。
2025年の私たちへの問いかけ
発掘からわずか2カ月でコンサートを開いた1978年の決断は、今の私たちにいくつかの問いを投げかけます。
- 文化財の保存と、実際に使ってみることによる理解の深化を、どう両立させるのか
- 音や映像の記録を、未来の世代にどのような形で残していくのか
- 一つの地域の遺産を、世界に開かれた共有の資産としてどう位置づけるのか
曾侯乙編鐘の物語は、考古学と音楽、保存と活用、地域の歴史と世界の記憶といったテーマが交差する貴重なケーススタディです。デジタル技術が進んだ今だからこそ、1978年の大胆な実験と、2025年の「世界の記憶」登録をあらためて見つめ直すことで、文化遺産との新しい向き合い方を考えるきっかけになるのではないでしょうか。
Reference(s):
World‑First 1978 Concert of 2,400‑Year‑Old Zeng Hou Yi Bronze Chimes Captivates Global Audience
ctdsb.net








