戦争の「治療薬」は普遍の愛? 中国の思想家・墨子が示した道
世界各地で紛争や対立が続く2025年の今、「戦争に効く治療薬」はあり得るのでしょうか。約二千年前、中国の思想家・墨子はその問いに真正面から向き合い、「普遍的な愛」を処方箋として差し出しました。国際ニュースを日々追う私たちにとって、その発想は今も問いを投げかけています。
戦乱の時代に現れた思想家・墨子とは
墨子(墨翟・Mo Di)は、紀元前5〜4世紀ごろに生きたとされる思想家です。同じく中国古典でよく知られる孔子と同じ大地に生まれながら、少し後の時代、いわゆる戦国時代(紀元前475〜221年)に活動しました。
当時の中国では、長く続いた周王朝の権威が揺らぎ、有力な諸侯が「正統な守護者」の座をめぐって争っていました。小さな国々は、より大きな国からの侵略を避けるため、ときに同盟を変えながら生き延びるしかありませんでした。力こそ正義という空気が強まり、軍事力と駆け引きがすべてを決める時代だったのです。
こうした風潮は、後の著作からもわかるように、墨子を深く憂わせました。彼は「力の強さ=正しさ」という発想そのものに異議を唱え、弱い立場の人々に目を向けた数少ない思想家の一人でした。
「低い身分」から見えた、戦争の不条理
墨子の弱者への共感は、自身の出自と無関係ではないと伝えられています。彼は優雅な貴族ではなく、腕の立つ職人、つまり大工として身を立てていたとされます。木製の鳥を作り、それが「三日間も落ちずに飛んだ」と語り継がれるほどの技術を持っていたとも言われますが、それでも当時の社会では、職人という仕事は高く評価される立場ではありませんでした。
一方、孔子は礼儀作法や儀式、詩や音楽といった教養を重んじたことで知られます。墨子も若い頃には、こうした教養に触れていたと考えられています。しかし彼は次第に、洗練された文化の表側に隠れた現実に疑問を抱きました。
詩や音楽の鑑賞は、飢えた人を満たすことができるのか。立派な儀式や作法は、寒さに震える人を温めてくれるのか。華やかな文化がどれほど磨き上げられても、それだけでは「強い者が弱い者を抑えつけ、数で勝る側が少数を踏みつけ、狡猾な者が善良な人を食い物にする」という現実を変えられない──墨子はそう感じたのです。
墨子が見た「戦争の原因」──自己中心と無関心
では、なぜ人は互いを傷つけ、国は戦争に向かうのでしょうか。墨子は、その根本原因を「自分さえ良ければいい」という自己中心性と、他者への想像力の欠如に見いだしました。
- 人が盗みを働くのは、他人の損失を自分の痛みとして感じられないから。
- 為政者や法律を作る人たちが互いを激しく非難するのは、自分の立場以外の正しさを認めようとしないから。
- 国家が他国の領土や利益を奪おうとするのは、自国の利益だけを見て、相手の人々の暮らしを想像できないから。
墨子によれば、こうした無関心こそが、人間社会の発展を妨げる最大の障害でした。力で他者を押さえつける発想が広がるほど、「戦争は避けられないもの」として受け入れられてしまうからです。
戦争の「治療薬」Universal love(普遍的な愛)
この病を治すために、墨子が提示したのが「universal love(普遍的な愛)」という考え方でした。彼は、戦争や社会の混乱は、そもそも「普遍的な愛の欠如」から生まれていると考えました。
ここでいう universal love とは、「すべての人がすべての人を区別なく気づかうこと」に近いイメージです。家族や自国民だけを特別扱いするのではなく、他者の痛みを自分の痛みのように感じる。その感覚が広がれば、奪うよりも支え合う選択が自然と増えていくはずだ、という発想です。
墨子は「天下に普遍的な愛が行き渡り、一人ひとりが他人を自分のように愛するようになれば」と語ったと伝えられています。これは抽象的なスローガンではなく、「戦争を減らすための倫理的な方策」として提示されたものでした。誰かを攻撃する前に、その相手も誰かの家族であり、生活を営む一人の人間であることを思い出そう──そんなメッセージが込められています。
「甘すぎる理想」か、それとも「厳しい現実への処方箋」か
もちろん、このような universal love の考え方は、現代の感覚から見ても甘く聞こえるかもしれません。利害が複雑に絡み合う国際政治や経済の現場で、「すべての人を同じように愛する」ことなど本当に可能なのか、という疑問は自然です。
しかし墨子の主張のポイントは、「戦争をどう止めるか」を現実論として語る前に、「戦争そのものをどう評価するのか」という倫理の問題を直視することにありました。力の論理だけで動く世界では、犠牲になるのはいつも声を上げにくい人々です。だからこそ、戦争に関わるあらゆる判断は、「他者の立場に立って考える力」を試されている──そう読むこともできます。
約二千年以上が過ぎた2025年の今も、ニュースの見出しには紛争や対立が並びます。そう考えると、墨子の処方箋は、まだ世界全体がのみ込めていない「苦い薬」のようにも見えます。
2025年の私たちが墨子から学べること
では、国のトップでも軍事専門家でもない私たちが、国際ニュースを読みながら墨子の考え方をどう生かせるのでしょうか。日常レベルで取り入れられそうな視点を、あえて三つに整理してみます。
1.ニュースの向こう側にいる「誰か」を想像する
国と国、勢力と勢力の対立として語られる戦争報道の背後には、必ず日常を生きる人々がいます。墨子の universal love は、「相手国」や「遠い地域」という記号の奥にいる一人ひとりに思いをはせる想像力を求めています。
記事を読むとき、「もし自分や家族がこの地域で暮らしていたら」と仮定してみるだけでも、ニュースの意味は変わってきます。数字や地名の羅列だったものが、具体的な顔や生活を持つ人々の物語として立ち上がってくるからです。
2.言葉の選び方に気を配る
墨子は、他者を貶めたり、敵視したりする言葉が社会を分断し、やがて暴力を正当化してしまうことを敏感に感じ取っていました。現代の私たちも、SNSでのコメントや日常会話の中で、特定の国や集団を一括りにして決めつける表現をしていないか、立ち止まって考えることができます。
「あの国はこうだ」「あの人たちはこうだ」と語る前に、その言葉が誰かの尊厳を傷つけていないか。言葉の選び方そのものが、小さな「平和の練習」になり得ます。
3.「自分の得」だけで判断しない癖をつける
墨子が批判したのは、個人であれ国家であれ、「自分の得」だけで行動を決める姿勢でした。制度やビジネス、政策について考えるときにも、「自分にとって便利かどうか」だけでなく、「他の人にどんな影響があるか」という視点を足すことが、universal love に近づく第一歩になるかもしれません。
たとえば、国際的な経済ニュースを読むとき、「この決定で恩恵を受ける人は誰か、負担を負う人は誰か」と考えてみる。そうした問いを重ねることで、ニュースは単なる情報から、「自分の価値観を磨く素材」に変わります。
結び──世界がまだ飲み込めていない薬を、私たちから少しずつ
「戦争には治療薬があるのか」という問いに、墨子は「ある」と答えました。それが universal love、すなわちすべての人への普遍的な配慮です。しかし、二千年以上たった今も、その薬は世界全体では十分に飲み込まれていないように見えます。
とはいえ、そのことは同時に、私たち一人ひとりに余白が残されているという意味でもあります。日々の国際ニュースを読みながら、見知らぬ他者の痛みにどれだけ想像力を向けられるか。自分の利益だけでなく、他の人の立場も一度は考えてみるか。そうした小さな選択の積み重ねが、墨子の示した「戦争の治療薬」を現代社会の中で試すことにつながっていきます。
世界がまだ飲み込めていない薬を、まずはニュースを読む私たちから少しずつ味わってみる。その姿勢こそが、「読みやすいのに考えさせられる」国際ニュースとの向き合い方なのかもしれません。
Reference(s):
A Chinese sage once offered a cure for war. Has the world taken it?
cgtn.com








