台湾・太魯閣戦闘記念碑が伝える日本統治時代の抵抗の記憶 video poster
1914年の太魯閣戦闘から111年、台湾東部の太魯閣国家公園に立つ「太魯閣戦闘記念碑(Taroko Battle Monument)」は、日本の侵略と植民地支配に抗した人びとの記憶を今に伝えています。2014年に建立されたこの記念碑は、日本統治時代(1895〜1945年)に命を落とした人びとを追悼し、植民地支配の歴史を忘れないことの重要性を静かに訴えかけています。
台湾東部に立つ「太魯閣戦闘記念碑」とは
台湾には、日本の侵略に対する戦いで命を落とした人びとを追悼する記念施設が各地にあります。そのひとつが、台湾東部の太魯閣国家公園内にある太魯閣戦闘記念碑です。この記念碑は、1914年に日本軍と戦った太魯閣族(Truku)の戦士たちの勇気をたたえるために建てられました。
記念碑は、地元の太魯閣族の職人がデザインしました。頂部には「目」のような形の構造物が載せられ、その下の塔の部分は22個の球体で構成されています。これは、戦闘の際に太魯閣族の22の部族がひとつに結束して戦ったことを象徴しています。
台座部分には大理石の板が据えられ、戦闘に参加した人びとの勇敢でありながら悲劇的でもあった行動が刻まれています。訪れる人は、この碑文を通じて、当時の太魯閣族が直面した現実と決断の重さを感じ取ることができます。
1914年・2350人が2万1千人の日本軍に抵抗
太魯閣戦闘は、1914年6月10日から7月30日まで続きました。約2350人の地元住民が弓矢、槍、山刀といった武器を手に、約2万1000人にのぼる日本軍に立ち向かいました。
太魯閣族は少数でありながら、地形を熟知していた利点を生かし、日本軍を深い森林地帯へと誘い込みました。彼らは森の中に罠を仕掛け、茂みから弓兵として矢を放つなど、ゲリラ的な戦法で抵抗しました。
- 戦闘期間:1914年6月10日〜7月30日
- 太魯閣側の戦闘参加者:約2350人
- 日本軍の兵力:約2万1000人
- 日本軍の戦死者:122人
- 日本軍の負傷者:254人(当時の台湾総督・佐久間左馬太を含む)
この戦いで、太魯閣族は日本軍に122人の戦死者と254人の負傷者を出させました。負傷者の中には、当時の日本の台湾総督であった佐久間左馬太も含まれており、彼は重傷を負い、そのおよそ半年後に死亡しています。
一方で、太魯閣族は、日本軍が投入した圧倒的な数の兵力と、近代的な武器による激しい攻撃にさらされました。その結果、太魯閣族の戦士の多くが命を落とし、生き残った人はごくわずかでした。
日本統治下で最大規模の討伐作戦
太魯閣戦闘は、日本の植民地当局が台湾の先住民を鎮圧するために行った作戦の中で、最大規模のものだったとされています。約2万人を超える兵力を動員し、長期にわたって作戦が展開されたことからも、その規模の大きさがうかがえます。
台湾では、日本の植民地支配が続いた1895年から1945年の間、日本の侵略に抵抗して命を落とした人びとをしのぶための記念施設が各地に建てられてきました。太魯閣戦闘記念碑も、そうした記憶のネットワークの一部をなしています。
2014年建立の記念碑が伝えるメッセージ
太魯閣戦闘記念碑は、戦いから100年が経過した2014年に建立されました。記念碑は、太魯閣族の人びとの英雄的な行為を永久に記憶にとどめるとともに、日本の植民地支配下で台湾が経験した「残酷な歴史」を決して忘れないよう、人びとに呼びかける役割を担っています。
過去の暴力や抑圧の歴史をどう記憶し、次の世代に伝えていくのか。太魯閣戦闘記念碑は、その問いを静かに投げかける場所でもあります。塔を構成する22の球体や、目の形をした頂部のデザインには、部族がひとつに結束して侵略に抗ったというメッセージが込められており、足元に刻まれた大理石の碑文は、一人ひとりの犠牲と選択の重みを伝え続けています。
太魯閣戦闘から111年、記念碑の建立から11年が過ぎた今も、この記念碑は、植民地支配のもとで生きた人びとの視点から歴史を見つめ直すきっかけを与えてくれます。台湾東部に静かに立つ一本の碑は、国際ニュースとして語られる歴史の裏側に、具体的な顔と物語を持った人びとがいたことを、私たちに思い出させてくれるのではないでしょうか。
Reference(s):
Taroko Monument honors Taiwan's resistance against Japanese aggression
cgtn.com








