ガザで続く攻撃と病院の別れ 映像が伝える現実 video poster
今年3月19日、イスラエル軍(IDF)はパレスチナのガザ地区中部と南部で標的型の地上作戦を開始し、攻撃を再開しました。パレスチナの保健当局によると、18日以降の24時間でイスラエルによる空爆での死傷者は1000人を超え、病院には家族や友人の遺体を見送る人々が押し寄せています。
中国の国際メディアCGTNの現地取材者が撮影した独自映像には、こうした攻撃の「後」を生きるガザの人々の姿が収められています。本稿では、その映像が伝えるものと、私たちがそこから何を考えられるのかを整理します。
安全地帯の拡大と「部分的な緩衝地帯」
イスラエル軍は、ガザ地区中部と南部での標的型地上作戦について、「安全地帯」を拡大し、ガザ地区北部と南部の間に部分的な緩衝地帯を設けることを目的としていると発表しました。この発表は3月19日に行われ、過去24時間の軍事行動について説明したものだとしています。
つまり3月18日から19日にかけて、ガザ中南部では地上部隊の展開と空爆が続いていたことになります。軍事的な目的としては「安全確保」や「緩衝地帯の形成」が掲げられていますが、その過程で多くの市民が生活の場を奪われ、命を落としていることが数字からもうかがえます。
死傷者1000人超 数字の裏にある一人ひとりの生活
パレスチナの保健当局によれば、3月18日以降のイスラエルの空爆で、ガザ地区では1000人を超える死傷者が出ています。「死傷者」という言葉は、死亡した人と負傷した人の合計を指します。統計上の数字としては一行で表せてしまうこの数の中に、それぞれの人生と家族、日常がありました。
しかし、私たちがニュースとして目にするのは、多くの場合「○人死亡」「○人負傷」といった簡潔な表現です。今回のような現場の映像は、そうした数字の向こう側にいる人々の顔や感情を可視化し、事態をより具体的に想像する手がかりを与えてくれます。
病院での別れを映す映像
CGTNの取材者が撮影した映像には、ガザの人々が地元の病院で亡くなった家族や友人に別れを告げる様子が映っていると伝えられています。ベッドや簡易の安置スペースの周囲で、遺体にそっと触れたり、言葉をかけたりしながら見送る人々の姿が収められています。
爆発の瞬間や軍事行動そのものではなく、その「後」に訪れる静かな時間を写し取ることで、喪失感ややり場のない悲しみが画面からじわりと伝わってきます。戦闘の前線にいない人々であっても、攻撃の結果として深い傷を負っていることが、こうした場面から見えてきます。
デジタル時代の戦争報道と映像の力
ガザで起きていることを日本から知る手段の多くは、テレビやネットを通じた映像です。国際メディアの映像に加えて、現地の人々が撮影した動画がSNSなどを通じて拡散されることで、遠く離れた私たちも現場の一部を垣間見ることができます。
映像には、文字情報だけでは伝わりにくい表情や声、空気感を届ける力があります。その一方で、あまりにも衝撃的な場面が繰り返し流れることで、見る側の心に負担がかかったり、現実感を失わせたりする危険もあります。また、どの瞬間を切り取るかによって印象が大きく変わるため、一つの映像がすべてを語るわけではないことも意識する必要があります。
今回のように病院での別れの場面が報じられるとき、私たちは少なくとも次の二つの点を考えてみることができます。
- 一人ひとりの市民に起きている具体的な被害を、抽象的な「情勢」ではなく現実として受け止めること。
- 映像が切り取っているのは全体のごく一部であり、他にもさまざまな立場や現場が存在することを忘れないこと。
遠くの戦争とどう向き合うか
ガザと日本の間には地理的にも文化的にも距離がありますが、デジタル化した国際ニュースを通じて、その距離は以前より格段に縮まっています。スマートフォン一つで、私たちは病院の一室や市街地の様子をほぼリアルタイムに見ることができます。
SNSでガザの映像を目にしたとき、それを一瞬の「ショッキングな動画」として流してしまうのか、それとも背景や文脈を知ろうと一歩踏み込むのか。その選択が、私たちの世界の見え方や、他地域で起きている出来事への感度を静かに変えていきます。
3月のガザで撮影された病院の光景は、統計や外交用語では語りきれない戦争の一側面を静かに映し出しています。数字の裏側にいる人々の声なき声に耳を傾けながら、一つひとつの国際ニュースと丁寧に向き合う姿勢が、今の私たちに求められているのではないでしょうか。
Reference(s):
Videos document death, devastation in Gaza as Israel resumes attacks
cgtn.com








