両腕を失った10歳少女サラ ガザで「足」で生きるということ video poster
ガザで暮らす10歳の少女サラ・アルバルシュさんは、空爆で両腕と父親を失いながらも、足だけで食事や勉強、身の回りのことをこなし、「生きる力」を体現しています。本記事では、その小さな日常から見えるガザの現実と、私たちに投げかけられる問いを考えます。
シェイク・ラドワン地区で続く「小さな奇跡」
舞台は、ガザ市東部のシェイク・ラドワン地区です。そこに住む10歳のサラ・アルバルシュさんは、空爆による攻撃で両腕を失い、父親も亡くしました。それでも彼女は、生きることをあきらめませんでした。
過酷な環境の中で、サラさんは「足で生きる」ことを選びました。誰かの助けを待つだけではなく、自分の体に残された機能を最大限に使い、日常を取り戻そうとしているのです。
足で食べ、書き、学ぶ日常
現在、サラさんは足を使って、次のような動作をこなしています。
- 食べたり飲んだりする
- 文字を書き、勉強する
- 身の回りの世話を自分で行う
両腕を失ったという事実は重く、元の身体には戻れません。それでも、足でスプーンを持ち、ノートに文字を書き、生活の多くを自分の力でこなしている姿からは、「できないこと」にではなく、「できること」に視点を移そうとする強さが伝わってきます。
サラの願い:義手をつくる人になりたい
サラさんの今のいちばんの願いは、「一日も早く義手を手に入れること」です。それはただ自分の生活を少し便利にするためだけではありません。
彼女は将来、義手をつくる専門家のような存在になりたいと考えています。同じように戦闘や攻撃で手足を失った子どもたちの力になりたい、という思いが込められています。
自分の経験を「終わりの物語」にせず、「誰かを助ける物語」に変えようとする視点は、年齢以上の成熟さを感じさせます。
ガザの少女が問いかけるもの
ガザでは、空爆や戦闘によって、多くの人々が日常や家族、そして身体の一部を失ってきました。サラさんの物語は、その現実のごく一部にすぎませんが、遠く離れた私たちに、いくつかの問いを投げかけています。
- 「当たり前のように手足がある」という前提に、どれだけ依存して暮らしているのか
- 紛争地で暮らす子どもたちの「その後の人生」に、世界はどれだけ想像力を向けているのか
- 障害を持つ子どもが、自分の力を発揮できる環境を整えるために、私たち一人ひとりに何ができるのか
ニュースで流れる「被害者数」という数字の裏側には、それぞれの名前と日常、そして未来への願いがあります。サラさんの物語は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれます。
「生きる力」をどう支えるか
サラさんは、足でペンを握り、ノートを開き、学び続けています。その姿は、教育や医療、福祉へのアクセスがどれほど重要かを思い出させます。
義手を求める声は、単に一人の少女の願いではなく、「安全な生活」「学ぶ機会」「自分の将来を自分で選ぶ権利」を求める声とも重なります。紛争地に暮らす子どもたちが、その権利をあきらめなくてよい世界をつくれるかどうかは、国際社会全体の課題です。
ガザの一角で、足で未来をつかもうとしている10歳の少女の存在は、画面越しにニュースを眺める私たちに、「自分に何ができるのか」を静かに問いかけ続けています。
Reference(s):
cgtn.com







