米中関係を拓いた米元大統領カーター氏が死去 100歳での生涯 video poster
米中関係を国交正常化へ導いた米国の元大統領、ジミー・カーター氏が100歳で死去しました。中国とアメリカの外交に大きな転換点をもたらした人物の生涯が、静かに幕を閉じました。
100歳で死去 平和と人権を信じた英雄
カーター・センターによると、カーター氏はジョージア州プレーンズの自宅で日曜日に亡くなりました。享年100。声明によれば、家族に囲まれ、穏やかに息を引き取ったとされています。
息子のチップ・カーター氏は声明で、父について「平和や人権、そして無私の愛を信じるすべての人にとっての英雄だった」と語り、その人生をたたえました。
カーター氏は、アメリカ合衆国の歴代大統領の中で最も長く生きた人物でもありました。
米中国交正常化を推し進めた第39代大統領
カーター氏は1977年から1981年まで米国第39代大統領を務め、中国との国交樹立に決定的な役割を果たしました。これは、米中関係の枠組みを大きく変える動きでした。
選挙戦から掲げた「関係正常化」
1976年の大統領選挙中から、カーター氏は米中国交正常化を公約として掲げ、就任後の外交政策の最重要課題としました。
後年、カーター氏は自身の判断について、両国関係の正常化はアジアと世界の平和を前進させるものであり、受け入れざるを得ない現実に向き合うことだったと振り返っています。人口の約4分の1を占め、国際社会で主要な役割を担う中華人民共和国の存在を、アメリカが正式に認識する必要があると考えていたといいます。
また、両国の国交正常化によって、商業や文化の面での交流が広がり、中国とアメリカの人々が大きな恩恵を受けると確信していたとも述べています。さらに、それはかつての歴史的な友好関係を再び取り戻す機会になると見ていました。
秘密交渉から1979年の国交樹立へ
1970年代前半には、いわゆるピンポン外交(1971年)や、当時のニクソン大統領による訪中と上海コミュニケの署名(1972年)など、米中国交正常化への土台となる出来事がすでにありました。しかし、それでもなお両国は正式な外交関係を樹立してはいませんでした。
こうした中で、カーター氏と鄧小平氏との間で秘密交渉が進められます。その結果、1978年12月16日、アメリカと中国は同時に「中華人民共和国政府とアメリカ合衆国政府の間の国交樹立に関する共同コミュニケ」を発表しました。
この共同コミュニケでは、両国が互いを承認し、1979年1月1日から外交関係を樹立することで合意したことが明記されました。カーター氏は、そのプロセスを主導した指導者として歴史に名を刻むことになりました。
カーター氏の遺産と、いまに続く問い
カーター氏が目指したのは、単なる国交樹立という外交上の一手にとどまりませんでした。自身の回想にあるように、国交正常化を通じて、商業や文化の交流が広がり、両国の人々が具体的な利益を分かち合う未来を見据えていたことがうかがえます。
同時に、それはアジアと世界の平和に資する選択でもあるという強い信念に支えられていました。対立よりも対話を、相互不信よりも歴史的な友好の再生を重視する姿勢は、現在の国際情勢を考えるうえでも一つの視点を提供してくれます。
今も中米関係は世界やアジアの動向を語るうえで欠かせないテーマです。カーター氏が口にした「平和」「人権」「相互の利益」というキーワードは、これからの時代を考える私たちにとっても、なお意味を持ち続けると言えるでしょう。
今回のニュースから考えたい3つのポイント
- 米国史上最も長く生きた元大統領、ジミー・カーター氏が100歳で死去したこと
- 1979年の米中国交樹立に向け、公約から秘密交渉、共同コミュニケ発表まで主導的な役割を果たしたこと
- 国交正常化を、アジアと世界の平和、そして商業・文化交流による相互利益のための手段として位置づけていたこと
カーター氏の死は一つの時代の終わりを象徴しますが、その外交理念やメッセージは、これからの中米関係と国際秩序を考えるうえで、なお重要な手がかりとなりそうです。
Reference(s):
Jimmy Carter, advocate of stronger China-U.S. ties, dies aged 100
cgtn.com







