中国人民志願軍の遺骨43柱が瀋陽で埋葬 韓国から11回目の返還 video poster
1950〜53年の抗米援朝戦争で戦死した中国人民志願軍(Chinese People's Volunteers、CPV)の兵士43人の遺骨が、中国東北部・遼寧省瀋陽市で埋葬されました。埋葬式では礼砲12発が放たれ、韓国(大韓民国)からの遺骨返還は2014年以降で11回目となり、これまでに祖国へ戻ったCPV烈士は累計981柱に達しました。
瀋陽で埋葬式 礼砲12発で「英雄」を見送る
瀋陽市で行われた埋葬式では、中国人民志願軍として抗米援朝戦争に参加し、戦場で倒れた兵士たちの遺骨が一柱ずつ丁寧に納められました。式典の中で礼砲が12発放たれ、参列者は静かに頭を垂れ、遠く離れた戦地から帰ってきた「英雄」に黙祷を捧げました。
戦闘が終わってから長い年月が過ぎても、戦場に倒れた兵士の遺骨が故郷の土に還ることには、大きな意味があります。埋葬の場が整えられることで、遺族や市民が手を合わせる場所が生まれ、歴史と向き合う具体的な「場」として機能していきます。
韓国からの返還は11回目 累計981柱が祖国へ
今回埋葬された43柱の遺骨は、式典の前日、韓国から中国へ引き渡されました。両国が締結した遺骨引き渡し協定に基づき、2014年以降、CPV兵士の遺骨返還が継続的に行われており、今回で11回目となります。
これまでに返還された中国人民志願軍烈士は累計981柱に達しました。一度の引き渡しで戻る人数は多くはありませんが、一柱一柱が家族や地域、そして国家にとって「ようやく帰ってきた一人」です。数値としての981という合計の裏側には、それぞれ固有の人生と物語があったことを想像せずにはいられません。
「遠い戦争」をいま考えるためのニュース
抗米援朝戦争は1950〜53年の出来事であり、多くの若い世代にとっては教科書やドラマの中の「歴史」の一場面に見えやすいかもしれません。しかし、今回のような遺骨埋葬式のニュースは、戦争が今も続く時間の中にあるという事実を静かに伝えています。
遺骨が見つかり、身元が確認され、国をまたいで移送され、埋葬されるまでには、多くの人の手と時間が必要です。そのプロセスすべてが、戦争の終わりが単に停戦や休戦協定の署名だけではないことを示しています。戦争の「後始末」は、何十年という単位で続き、その過程で当事国同士や市民社会の間に、新たな対話や感情が生まれていきます。
遺骨返還が映し出す国際協力のかたち
今回の遺骨返還は、中国と韓国という二つの国が、歴史と向き合いながら実務レベルの協力を重ねてきた結果でもあります。政治や安全保障をめぐる議論とは別に、戦死者の尊厳を守り、遺骨を故郷に帰すという一点において、国境を越えた協力が積み重ねられてきたと言えます。
こうした取り組みは、過去の戦争をどう記憶し、どう継承していくかという問いとも結びつきます。犠牲になった人びとを「数字」ではなく、一人ひとりの人生としてとらえ直すことは、国際ニュースを読み解く上でも重要な視点です。
読み手に開かれた問いとして
戦争や歴史認識をめぐる議論は、ときに感情的な対立を生みやすいテーマでもあります。しかし、遺骨返還や埋葬式のニュースは、まず何よりも「亡くなった人をどう送り、どう記憶するか」という、人間として共有しうる課題を静かに提示しています。
通勤時間やスキマ時間にこのニュースを読む私たちは、次のような問いを自分に投げかけてみることができます。たとえば、「もし自分の家族が遠い戦場で亡くなっていたら、何を望むだろうか」「歴史の話題を、身近な人とどのような言葉で語り合えるだろうか」といった問いです。
ニュースをきっかけに、家族や友人、オンラインコミュニティで歴史や国際関係について話す場をつくることは、私たち一人ひとりの視点を少しずつ更新していくことにつながります。今回のCPV烈士の遺骨埋葬は、そのための一つの入り口として受け止めることもできるのではないでしょうか。
Reference(s):
cgtn.com








