中国武侠101:カンフーの達人はなぜ空を飛ぶのか
剣を手にふわりと宙を舞うカンフーの達人――中国の武侠映画やドラマを象徴するこの「飛ぶ」アクションは、どこから生まれ、なぜ今もこれほど愛されているのでしょうか。
中国武侠ブームと最新ヒット作
中国の映画館では、武侠(wuxia)と呼ばれるジャンルの人気が根強く続いています。今年2月には、20世紀のベストセラー小説を原作にした映画『The Legend of Condor Heroes: The Gallants』が公開され、およそ9,000万ドルの興行収入を上げるヒットとなりました。観客は、剣を携えた達人たちがビルの屋根から屋根へと舞い、重力を忘れたように戦う姿に熱狂しました。
「武」と「侠」――ジャンルを形作る二つの文字
「武侠」という言葉は、「武」と「侠」という二つの漢字から成り立ちます。「武」は武術や軍事的な力、「侠」はしばしば「侠客」や「義侠」と訳されるように、弱きを助け強きをくじく騎士道精神に近い概念です。
紀元前2〜1世紀に生きた歴史家・司馬遷は、『史記』の中で当時以前に名を馳せた「侠」の人物たちを丸ごと一章を使って描きました。彼は、彼らが必ずしも法律に従うわけではないと認めつつも、見返りを求めない利他性や、自らの命を賭けて「正しい」と信じることを貫く姿勢を高く評価しています。この伝記的な章が、後の武侠文学にとって「道徳的なレール」のような役割を果たし、物語の多くはこの線路から大きく外れることがありません。
史書から姿を消した「侠」の精神
しかし、司馬遷以降、公式の歴史書から「侠」の姿はほとんど消えてしまいます。あえてたとえるなら、「ノッティンガムの保安官がロビン・フッドの回想録にゴーサインを出すことはない」のと同じで、体制に挑む存在が、公的な記録に残されにくいのは自然なことだったのでしょう。
とはいえ、「侠」の反骨と義を重んじる精神そのものが消えたわけではありません。そのエネルギーは、説話や民間伝承、物語文学といった別のジャンルに流れ込み、やがて武術をめぐる空想と結びついていきます。
武侠は映画より千年早く生まれていた
映画のスクリーンでカンフーの達人が飛び回るようになる、ずっと以前から、中国には武芸を題材にした物語世界が存在していました。映画が登場するよりおよそ千年も前に、剣や拳法を操る人物たちが活躍する文学が生まれていたのです。
そこで繰り返し描かれるのが、「気(qi)」と呼ばれる目に見えない内なるエネルギーです。達人たちは長年の修行によって気を高め、その力で常人には不可能な跳躍をしたり、壁を蹴って10フィート(約3メートル)もの高さをひょいと飛び越えたりします。気を操り、重力を「無視」するこうした描写は、武侠物語の代表的な約束事となりました。
空を飛ぶ達人はどのようにして生まれたのか
もともと司馬遷が描いた史実の「侠」は、必ずしも武術の達人ではなく、まして空を飛ぶ存在ではありませんでした。豪胆で義理堅い人びとではあっても、その足はしっかりと地面についていたのです。このギャップを埋める「空飛ぶ侠客」のイメージは、後の空想文学や宗教的な想像力など、別の系統の物語から武侠に流れ込んだ夢だと考えられています。
現代の読者や観客にとって、空を飛ぶ達人の姿は単なる「物理法則違反」ではありません。現実の束縛からふっと解き放たれる自由さ、権力や不正を文字通り「飛び越えて」いく痛快さを象徴しています。地上のルールに縛られないからこそ、彼らはときに法律の外側で弱い人を助け、失われた正義を取り戻そうとします。
ワイヤーアクションが幻想を現実に近づけた
もちろん、スクリーンの裏側には冷静な技術があります。ワイヤーアクションと呼ばれる撮影方法では、俳優を細いワイヤーで吊り上げ、編集やカメラワークを駆使して、まるで本当に空中を滑空しているように見せます。観客が目にするのは、俳優の身体能力、武術の振り付け、そして映画技術が一体となった「現代の武侠芸術」ともいえる表現です。
ワイヤーアクションによって、長く文学の中だけに存在していた「飛ぶ」武侠のイメージが、21世紀のスクリーンに鮮やかによみがえりました。観る側は、目の前の非日常を楽しみながらも、その背後にある正義感や人情に共感し、自分ならどう振る舞うかを想像します。
なぜ中国の人びとは武侠を愛し続けるのか
では、なぜ中国の人びとは、そして世界のファンは、武侠物語をこんなにも愛し続けるのでしょうか。鍵の一つは、司馬遷が描いた「侠」の倫理にあります。法や制度の外側にいながらも、利他的で義を重んじる人物像は、多くの人にとって「こうありたい」と思わせる理想像です。
- 不完全な現実を補う物語:どんな社会にも、法律だけでは救い切れないグレーゾーンが存在します。そこにさっと現れて弱い立場の人を助ける「侠」は、現実にはなかなかいないからこそ、物語として求められます。
- 日常からの解放:気を操り空を飛ぶ達人のアクションは、観客を一瞬で日常から連れ出し、身体の限界を超えた世界へ連れていきます。
- 文化的な記憶の継承:千年にわたって語られてきた「武」と「侠」の物語は、中国の文化的な記憶そのものです。新しい映画やドラマを通じて、その記憶が現代の感覚と接続し続けています。
日本の読者にとっての武侠入門
日本にも、時代劇や剣豪小説、義賊を描く物語など、「武」と「義」をテーマにした作品が数多くあります。中国の武侠は、それらとどこが似ていて、どこが違うのか。たとえば、「気」をめぐる身体観や、法よりも義を優先する価値観は、日本の物語とも共通点を持ちながら、独自の色合いを保っています。
配信サービスや動画プラットフォームが普及した今、中国の武侠映画やドラマ、原作小説に日本語で触れる機会は確実に増えています。「なぜこの人たちはこんなに飛ぶのか?」という素朴な疑問から入ってみると、その背後に広がる中国の歴史観や倫理観が、意外と身近に感じられるかもしれません。
空を飛ぶ侠客が映し出すもの
剣を携え、気を練り、夜の屋根から屋根へと舞う侠客たち。彼らが宙を飛ぶのは、単に視覚的な興奮を生み出すためだけではなく、「力をどう使うのか」「正義とは何か」という問いを、私たち観客に静かに投げかけるためでもあります。
現実の世界で空を飛ぶことはできなくても、物語の中で彼らと一緒に跳躍してみることはできます。最新のヒット作から古典文学まで、武侠の世界に足を踏み入れてみるとき、そこには「読みやすいのに考えさせられる」問いが、いくつも待っているはずです。
Reference(s):
cgtn.com








