フラメンコに恋した中国人女性 マドリードで咲いた「本当の自分」 video poster
フラメンコに恋した中国人女性 マドリードで咲いた「本当の自分」
中国・山西省出身の若い女性が、スペインの伝統芸能フラメンコと出会い、マドリードでダンサーとして生きるようになるまでの物語は、2025年の今も続いています。本記事では、国境をこえた自己表現の旅を日本語でたどります。
ロルカの一節から始まったフラメンコとの出会い
スペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカは、フラメンコについて「固く閉じた花を、千枚の花びらに咲かせる踊り」と表現しました。ヨーロッパ最古の歌であり、「東洋の記憶を運ぶ」とも書き残しています。
中国・山西省太原市でスペイン語を学んでいた2012年、当時学生だったカリーナ・ヤオさん(中国名・姚天慧〈ヤオ・ティエンフイ〉)がフラメンコを知ったのも、このロルカの言葉からでした。詩にひかれた彼女は、同じ年に初めてスペイン行きの飛行機に乗ります。
アンダルシア地方セビリアで初めて見たフラメンコのクラス。カリーナさんは、CGTNの取材に「初めて見たとき、すごくリアルで情熱的だと思いました」と振り返ります。
「保守的な故郷」から飛び出して見つけた「本当の自分」
マドリード中心部ラバピエス地区のダンススタジオ「ラ・コララ」。2025年現在、ここでクラスを教える直前のカリーナさんは、自身の出発点をこう語ります。
「私が育った中国の家庭はとても伝統的で、周りの文化もどちらかといえば控えめでした。セビリアで見たフラメンコは、そのどれとも違っていて衝撃でした」
フラメンコは、彼女にとって閉じていた花を開かせるきっかけになりました。「踊っていると、本当の自分を表現できます。喜びも、悲しみも、自分の過去や経験も、全部そこに出せるんです」と話します。
名前に込められていた小さな予言
彼女の中国語の名前にも、ダンスとの縁が隠れていました。姓の「姚(ヤオ)」という漢字は、「跳ぶ」という意味の「跳(ティアオ)」という字と形がよく似ています。「跳舞(ティアオウー)」は中国語で「踊る」という意味です。
後から振り返ると、姓の字そのものが、フラメンコダンサーとしての未来を小さく予告していたのかもしれません。
21歳でスペインへ フラメンコという「言語」を学ぶ
フラメンコに魅せられたカリーナさんは、2015年にスペインへ本格的に移住し、21歳でダンサーとしての道を歩み始めます。
「フラメンコを学ぶのは、新しい言語を学ぶのと似ています。ステップやテクニックは文法のようなもので、時間をかけて身につける必要があります」と話します。
彼女が感じるのは、技術だけではなく文化の違いです。「フラメンコは振り付けだけでなく、しぐさや態度、スペインの人たちの日常の表現そのものです。中国の文化では、体や手を使って感情を表すことは、スペインほど多くありません」といいます。
幼いころから続けてきたピアノの経験は、フラメンコ特有のリズムを理解する助けにもなりました。こうして少しずつ、フラメンコは彼女の「生活そのもの」になっていきます。
「フラメンコ・シン・フロンテラス」で世界へ
やがてカリーナさんは、「フラメンコ・シン・フロンテラス(国境なきフラメンコ)」というグループの一員として世界を巡るようになります。メンバーには中国出身のギタリストのほか、フランスやアメリカから参加するパルメーロ(手拍子や歌、リズムを支える役割)もいます。
多国籍の仲間たちとともに舞台に立つことで、フラメンコは特定の国の芸能ではなく、文化と文化を結ぶ共通言語のような存在になっていきました。
10年後、中国人女性たちに受け継がれる情熱
フラメンコと出会ってから約10年。現在、マドリードの「ラ・コララ」でカリーナさんは、自身の情熱と経験を、同じようにフラメンコに魅了された中国人女性たちと分かち合っています。
ステップや技術だけでなく、「どう感情を込めるか」「自分の物語をどう踊りに重ねるか」といった、フラメンコの奥にある生き方まで伝えようとしているのが印象的です。
ロルカが「東洋の記憶を運ぶ」と書いたフラメンコは、今、スペインと中国という二つの文化のあいだを結ぶ若い女性の人生を通じて、静かにアップデートされ続けています。ダンスを通じて「本当の自分」を見つけたいと願う人にとって、カリーナ・ヤオさんの歩みは、一つのヒントになるかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








