首の手術でアルツハイマー病に光?中国で広がる新たな挑戦とは
アルツハイマー病などの認知症に苦しむ人が中国では約1,700万人にのぼるとされるなか、脳の「老廃物排出」をねらった首の手術が、患者と家族の間で静かな注目を集めています。一方で、この治療はまだ実験段階であり、効果も安全性も十分に確認されていません。本記事では、この新しい手術法の概要と現時点で知っておきたいポイントを整理します。
中国で試みられる新手術「dcLVA」とは
中国の複数の病院では現在、アルツハイマー病に対する新たな選択肢として「深頸リンパ静脈吻合術(deep cervical lymphovenous anastomosis、dcLVA)」という首の手術が試みられています。
もともとこの手術は、手足のむくみなどを引き起こす「リンパ浮腫」の治療に使われてきた方法を応用したものです。首まわりのリンパ管と静脈をつなぎ直すことで、脳から出てくる老廃物を含むリンパ液の流れを良くし、脳内の有害物質をより効率よく排出させようとする発想です。
このアプローチを先導しているのが、マイクロサージャリー(顕微鏡を用いた手術)とリンパ外科を専門とする謝清平(シエ・チンピン)医師です。謝医師は杭州求是医院の院長も務めており、2020年以降、アルツハイマー病の患者を中心にdcLVAを実施してきたとしています。
きっかけは2019年の「耳鳴り」の手術
謝医師が首のリンパと脳機能の関係に注目するようになったきっかけは、2019年の一件でした。慢性的な耳鳴りと頭痛に悩む患者の頸部を手術していた際、通常とは異なるリンパの構造に気づいたといいます。
そこで謝医師は、それまでの経験をもとに、詰まり気味だった頸部のリンパ管やリンパ節を首の静脈とつなぎ直すという、リンパ管静脈吻合(LVA)とリンパ節静脈吻合(LNVA)を組み合わせた処置を行いました。
手術後、この患者では耳鳴りが消えただけでなく、視界がクリアになり、「頭のもや」が晴れたように感じるといった、思わぬ神経学的な変化もみられたといいます。
謝医師は「頸部のリンパ排出と中枢神経の『解毒』には何らかのつながりがあるのではないか」と考えるようになり、脳とリンパの関係に関する最新の研究に目を向けました。
脳の「排水システム」とアルツハイマー病
謝医師が注目したのは、米国の神経科学者ジョナサン・キプニス氏、アントワーヌ・ルボー氏らによる近年の脳研究です。彼らの研究は、長らく見過ごされてきた脳の排出システムの存在を示し、「グリンパ系(glymphatic system)」や「髄膜リンパ系」と呼ばれる仕組みを明らかにしました。
これらのシステムは、脳内で生じた老廃物をリンパを通じて除去する「配管」のような役割を担い、アルツハイマー病の特徴とされるアミロイドβやタウたんぱく質といった有害なたんぱく質を洗い流す経路だとされています。
dcLVAは、この脳の「排水システム」の出口にあたる首のリンパの流れを改善することで、脳内にたまった有害物質の除去を後押ししようとする試みです。つまり、「首の配管工事」で脳内環境を整え、アルツハイマー病の症状に良い影響を与えられないか、という着想になります。
約600人が手術、8割に改善の報告
謝医師によると、2020年以降、これまでに約600人のアルツハイマー病患者がdcLVAを受けたといいます。そのうち約8割の患者で、認知機能や行動面に何らかの改善が見られたと報告されています。
具体的には、家族との会話が増えた、表情が豊かになった、徘徊が減ったといった変化がみられたケースがあるとされます。既存の薬は早期には一定の効果があるものの、進行した段階ではできることが限られるため、特に中等度から重度の患者を抱える家族にとって、こうした報告は大きな希望になりえます。
一方で、これはあくまで個々の症例報告の積み重ねであり、まだ大規模な試験で効果が統計的に検証されたわけではありません。認知機能の評価方法や観察期間もさまざまで、どの程度の改善がどれくらい続くのか、といった点も現時点でははっきりしていません。
既存薬の限界と、新しい手術への期待
中国では、アルツハイマー病やその他の認知症が人々の生活に深刻な影響を与えています。現在使われている薬は高価であるうえ、病気のごく初期に使用した場合に限り症状の進行をある程度遅らせるといった効果にとどまり、損なわれた神経細胞を元に戻すことはできません。
こうした背景から、脳の老廃物を「物理的に」流しやすくすることを狙ったdcLVAのようなアプローチは、特に進行した患者を抱える家族にとって魅力的に映ります。「もう打つ手がない」と感じていたところに、新たな選択肢が現れたからです。
それでも「治療法」と呼ぶには早い理由
ただし、dcLVAを現時点で「確立した治療法」と位置づけることには慎重さが求められます。この手術は首を切開してリンパ管と静脈をつなぎ直す外科手術であり、当然ながら手術にはリスクが伴います。
さらに、まだ大規模な臨床試験で有効性や安全性が検証されているわけではありません。どのようなタイプの患者が最も恩恵を受けやすいのか、逆に適さない患者は誰なのか、長期的な影響はどうかといった重要な点も、これから明らかにしていく必要があります。
つまり現時点で言えるのは、dcLVAは「有望な仮説に基づく挑戦」である一方、「エビデンスがまだ限定的な実験的治療」でもあるということです。希望と同時に、不確実性も大きい段階だといえます。
患者と家族が今、考えておきたい問い
dcLVAのような新しい治療法が話題になるとき、患者や家族はどう向き合えばよいのでしょうか。現時点で意識しておきたいポイントを、問いのかたちで整理してみます。
- これは「標準治療」なのか、それとも「実験的な治療」なのか。
- 効果を示すデータはどのくらい集まっているのか。どのように評価されたものか。
- 手術のリスクや、合併症が起きた場合の対応はどうなっているのか。
- 費用負担はどの程度か。継続的な通院や追加治療は必要か。
- 自分や家族にとって、どのような「変化」が得られれば手術を受ける価値があると考えるのか。
こうした問いを主治医や専門医と共有しながら、一つひとつ確かめていくことが大切です。情報が限られている段階だからこそ、期待と不安の両方を言葉にし、家族内でも率直に話し合うことが求められます。
「脳とリンパ」をめぐる新しい視点
アルツハイマー病に対するdcLVAの挑戦は、たとえ最終的に限られた患者にしか適応されないとしても、脳とリンパの関係を見直す大きなきっかけになっています。脳がどのようにして老廃物を外へ出し、どのタイミングでその仕組みがうまく働かなくなるのか。この問いは、認知症だけでなく、さまざまな神経疾患の理解にもつながっていく可能性があります。
2020年代に入り、世界各地でアルツハイマー病の新薬や新たな治療コンセプトが次々と試されています。中国発のdcLVAもその一つです。決して「魔法の治療」ではないからこそ、現実的な限界を直視しつつ、その中で何ができるのかを冷静に見ていく姿勢が、今後ますます重要になっていきそうです。
Reference(s):
Neck surgery raises hope for Alzheimer's patients: What to know
cgtn.com








