広州・広東料理の「一口」で2000年の歴史を味わう:南越国から続く食文化 video poster
中国南部・広東省の省都、広州は「食の都」として知られています。本記事では、約2000年前の南越国の王の食卓から、2025年のいま私たちが味わうエビ餃子や艇仔粥まで、広州・広東料理の食文化がどのようにつながっているのかをたどります。
広州はなぜ「食の都」と呼ばれるのか
広州を代表する広東料理は、繊細な味わいと美しい盛り付け、新鮮な食材へのこだわりで知られています。濃い味つけでごまかすのではなく、素材本来の持つ甘みやうま味を引き出すのが特徴です。
料理は見た目も重視され、一皿ごとに色合いや形が丁寧に整えられます。そして何よりも大切にされてきたのが「鮮度」です。海や川の幸、野菜や肉など、そのときどきの新鮮な食材を使うことが、広州の食文化の基盤になっています。
南越国の王・Zhao Moの食卓から続く歴史
広州の食文化のルーツは、約2000年前の南越国にまでさかのぼるとされています。南越国の第2代の王で、美食家として知られたZhao Moの墓からは、驚くほど多くの台所道具や食べ物の痕跡が見つかりました。
なかでも象徴的なのが、生姜をすり下ろすための青銅製のおろし金です。これは魚の生臭さを取り除くために使われていたとされ、当時すでに「臭みを消しつつ、素材の味を生かす」という考え方が根づいていたことをうかがわせます。
北のナツメと南の海鮮が同じ食卓に
発掘された痕跡からは、北方のナツメから南方の海鮮に至るまで、実に幅広い食材がZhao Moの食卓に並んでいたことがわかります。これは、中国内陸部の中原文化と南方の嶺南文化が、すでにこの時代から食を通じて交わっていたことを示しています。
異なる地域の食材や技が一つの料理の中で出会う。この「融合」の感覚こそが、今日まで続く広東料理の大きな特徴の一つだといえるでしょう。
エビ餃子と艇仔粥に宿る「時間旅行」
現代の私たちが広東料理を味わうとき、その背後にはこうした長い歴史があります。ぷりっとした食感が魅力のエビ餃子をひと口かじるとき、あるいは素朴で奥行きのある味わいの艇仔粥をゆっくりすすっているとき、そこには南越国以来の「新鮮な食材を大切にする」精神が静かに息づいています。
約2000年という時間の流れの中で、使われる道具や調理法は変化してきましたが、「おいしさ」を支える考え方は驚くほど一貫しています。魚の臭みを消すための青銅製のおろし金は、現代の厨房に並ぶ道具へと姿を変えながらも、素材と真剣に向き合うという姿勢を今に伝えています。
一口で「過去」と「現在」をつなぐ
私たちはふだん、目の前の料理を「今日の一食」として味わっています。しかし視点を少し変えてみると、その一口は「時間をかけてたどり着いた味」でもあります。南越国の王の食卓に並んだ北と南の食材の出会いは、いまもエビ餃子や艇仔粥の中に、形を変えながら生き続けているのかもしれません。
広州の食文化から見えてくること
広州・広東料理の物語は、「おいしい」だけで終わらない、いくつかの示唆を与えてくれます。
- 料理の裏側には、長い時間をかけて磨かれた道具や技術があること
- 一つの食卓に、離れた地域の食材や文化が集まること
- 日々の食事の中にも、歴史や人々の暮らしが静かに刻まれていること
こうした視点を持って広州の食文化を眺めると、ニュースや歴史書では見えにくい、中国南部の人々の暮らしぶりや価値観が少し立体的に感じられてきます。
次に広東料理を味わうとき、もしエビ餃子や艇仔粥がメニューにあったら、「これは約2000年の旅をしてきた味かもしれない」と思い出してみてください。その一言をきっかけに、同じ食卓を囲む家族や友人との会話も、少しだけ深くなるかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








