広州の時をかけるひと口 2000年続く食文化の物語 video poster
南中国・広東省の省都、広州は「グルメの天国」とも呼ばれる街です。繊細な味わいと美しい盛りつけ、そして何よりも食材の鮮度を大切にする広東料理は、いま世界の食通からも注目されています。そのルーツをたどると、実は2000年以上前の王の食卓にまでさかのぼることができます。
広州はなぜ「グルメの天国」なのか
広州は、中国本土南部の広東省の政治と経済の中心であり、古くからさまざまな人とモノが行き交ってきました。その中で育まれてきたのが、広東料理として知られる独自の食文化です。
広東料理は、味付けを濃くしすぎず、素材そのものの味を生かすことを大切にします。見た目も丁寧に整えられ、テーブルに並ぶ一皿一皿が、まるで工芸品のようだといわれます。そして、魚介類や野菜など、できる限り新鮮な食材を使うことが大きな特徴です。
2000年前の「グルメ王」南越王・趙眜
こうした広州の食文化のルーツは、約2000年前の南越国にまでさかのぼります。第2代の王・趙眜(ちょうばつ)は、生粋のグルメだったと伝えられています。
その証拠となっているのが、彼の墓から見つかった品々です。発掘された墓の中には、驚くほど多くの台所道具や食器、食べ物の痕跡が残されていました。そこから、王が生前どれほど食を大切にしていたかが伝わってきます。
なかでも目を引くのが、青銅製のおろし金です。これは魚の生臭さを消すためにショウガをすりおろす道具で、当時から「どうすればもっとおいしく食べられるか」を追求していたことがうかがえます。
北のナツメと南の海鮮 食卓に広がる文化の交流
趙眜の食卓には、北方のナツメから、南方の豊かな海でとれる魚介類まで、幅広い食材が並んでいました。そこには、華北を中心とする中原文化と、熱帯・亜熱帯気候の嶺南地域の文化が溶け合った世界が広がっていました。
つまり、当時の広州はすでに「フュージョン料理」のような食文化を持っていたともいえます。異なる地域の食材や調理法が一つの食卓に集まり、新しい味が生まれていたのです。
エビ餃子とサンパン粥に宿る「時間の味」
現代の広州で、エビ餃子を一口かじったり、屋台や食堂でサンパン粥をすすったりするとき、私たちは気づかないうちに、こうした長い時間の流れを味わっています。
エビの甘みを引き立てるために生臭さを消し、素材の持ち味を生かすという発想は、南越王・趙眜の時代から受け継がれてきたものです。さまざまな地域の食材を組み合わせ、新しい味を生み出す姿勢もまた、2000年前の食卓にすでに見られました。
きょう、私たちが広州でエビ餃子を頬張るとき、その一口には、王の墓から発見された青銅のショウガおろしや、北の果実と南の海鮮が並んだ古代の食卓まで、時間を超えて受け継がれてきた知恵と工夫が詰まっているのです。
2025年の私たちが味わうべき「物語」
2025年のいま、スマートフォンの画面越しに広州の食文化を知ることは、単なるグルメ情報以上の意味を持ちます。食を通じて歴史や文化の交流をたどることは、隣り合う地域や国とのつながりを静かに見つめ直すきっかけになるからです。
次に広州や中国本土の広東料理の写真や動画を目にしたとき、あるいは日本で広東料理を味わう機会があったとき、少しだけ想像してみてください。その一皿の背後には、2000年以上前の王の食卓から続く、長い時間と出会いの物語が潜んでいるかもしれません。
一口の料理をきっかけに、歴史や文化、そして自分自身のものの見方をほんの少しアップデートする。そんな楽しみ方が、これからの「国際ニュースの読み方」として、静かに広がっていくのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








