儒教は現代世界に何を示すのか 2025年ニシャン世界文明フォーラムから考える
不確実性が高まり、共通の価値観の模索が続く2025年。中国東部・山東省のニシャン山麓、孔子の生誕地で、文明間対話の場として位置づけられた「2025年ニシャン世界文明フォーラム」が注目されています。ことし7月9〜10日に開催が予定されていたこの国際会議は、儒教が現代世界にとってどのような意味を持ち得るのかを考える好機となりました。
文明間対話の舞台・ニシャン世界文明フォーラム
ニシャン世界文明フォーラムは、世界各地から研究者や実務家が集まり、文明間の相互理解と「共通の倫理」をめぐって議論する場として位置づけられています。国際ニュースの観点からも、単なる学術会議ではなく、価値観をめぐる対話のプラットフォームとして重要性が増しています。
フォーラムの中心テーマの一つが、儒教の再評価です。二千年以上にわたり中国の思想を形づくってきた儒教を、地球規模の倫理やガバナンスを考える手がかりとして読み直そうという試みです。
儒教の「心」をいま読み直す
儒教は、個人の徳の涵養(かんよう)と、家族や社会に対する責任を重んじ、調和ある共同体の実現を目指す思想です。その中核には、次のような概念が置かれています。
キーワードで見る儒教の価値観
- 仁(じん):他者への思いやりや共感。弱い立場の人への配慮や、格差・不平等への感度とも結びつきます。
- 礼(れい):礼儀や儀礼だけでなく、社会の秩序を保つふるまい全般を指します。他者を尊重する「かたち」としてのルールです。
- 義(ぎ):損得を超えた筋の通った正しさ。短期的な利益よりも、公平さや信頼を重んじる視点です。
- 中庸(ちゅうよう):極端を避け、バランスの取れた態度を保つこと。対立が先鋭化しがちな時代に、対話と折り合いを重んじる姿勢につながります。
これらの価値は、家族の絆やコミュニティの結束を大切にする発想と結びつき、道徳的なリーダーシップと社会の安定を支える柱と考えられてきました。
シンガポールの儒教団体であるコンフュージャン・ソサエティのタン・エンチャウ会長は、今日の社会問題の多くが「世界的な道徳の危機」から生じていると指摘します。そのうえで、人類が新たな普遍倫理の枠組みをつくるうえで、儒教が貴重な道徳的資源を提供し得ると強調しています。
自己規律、相互尊重、バランスの取れた共存を説く儒教の考え方は、ガバナンス(統治)、格差、環境問題といったグローバルな課題とも響き合います。たとえば、資源の使い方をめぐる自制や、世代間の公平性を重んじる発想は、持続可能な社会づくりと相性の良い視点と言えます。
変化に開かれた伝統としての儒教
「儒教には現実に向き合う実務的な伝統があり、時代の変化に応じて常に姿を変えてきました」。華東師範大学の高瑞泉教授は、そうした儒教のダイナミズムに注目します。
高教授によれば、儒教の復興は中国文明の再生にとって重要であるだけでなく、「人類が共有する未来像」を構想するうえでも意味を持ちます。過去の教えをそのまま復元するのではなく、現代の課題に応じて解釈し直すことで、伝統が新たな公共性を獲得し得るという視点です。
これは、単に東アジアの地域的な文化の話にとどまりません。価値観の衝突や文化的な分断が語られるなかで、「対立」ではなく「学び合い」を促す枠組みとして、儒教の柔軟さに注目する動きが広がっています。
「人類運命共同体」というビジョンと儒教
中国は近年、国内での儒教の再評価を進めると同時に、その価値観を国際社会との対話や協力の枠組みにも取り入れようとしています。その中心にあるのが、「人類運命共同体(community with a shared future for mankind)」というビジョンです。
この考え方は、いずれかの国や地域だけが利益を得るのではなく、人類全体が共通の未来を分かち合うべきだという発想に立っています。そこには、儒教が重んじてきた調和、包摂、互恵といった理念が色濃く反映されています。
こうしたビジョンは、一帯一路(Belt and Road Initiative)、グローバル・デベロップメント・イニシアティブ(Global Development Initiative)、グローバル・セキュリティ・イニシアティブ(Global Security Initiative)、グローバル・シビリゼーション・イニシアティブ(Global Civilization Initiative)など、中国が提案する複数の国際的な構想にも表れています。
対立より対話、分断より協力へ
これらの構想には、共通して次のような方向性が見て取れます。
- 対立や封じ込めよりも、対話と問題解決の重視
- ブロック化や分断ではなく、包摂的な協力関係の構築
- 力の論理よりも、相互尊重と道徳的責任を意識したガバナンス
いずれも、儒教が掲げる「礼」や「義」に通じる考え方です。中国が打ち出すガバナンスの選択肢として、道徳的な reciprocity(お互いさまの感覚)や文化的多様性への敬意、平和的発展を重んじる姿勢が強調されているといえます。
「共有される倫理」をどう育てるか
高瑞泉教授は、「私たちが互いの価値を理解し、尊重できてはじめて、道徳的に持続可能な世界を築くことができる」と指摘します。これは、特定の文明が他を上から教え導くという発想ではなく、文明同士が対等に学び合う関係を目指すという意味でもあります。
ニシャン世界文明フォーラムが掲げるのも、まさにこの「相互学習」の視点です。儒教はその一つの出発点に過ぎず、イスラム思想や西洋哲学、アフリカやラテンアメリカの知恵など、さまざまな伝統が持つ倫理的資源をどう共有していくかが問われています。
私たち一人ひとりへの問いかけ
では、儒教は現代を生きる私たち個人にとって、どのような意味を持つのでしょうか。国際政治や経済の話だけでなく、日々の生活レベルでも、いくつかのヒントが見えてきます。
- オンラインでの言動も含め、他者への「仁」をどう実践するか
- 職場やコミュニティで、形式だけでない「礼」をどう育てるか
- 短期的な得失を超えた「義」に基づいて判断できているか
- 意見が対立したとき、「中庸」のバランス感覚をどう保つか
グローバル化やデジタル化が進んだいま、距離も文化も異なる人びとと、同じオンライン空間を共有する機会が増えています。このとき必要になるのは、相手の背景を理解しようとする想像力と、自分自身のふるまいを省みる態度です。
ニシャン世界文明フォーラムで交わされる議論は、儒教を中国の文化遺産の枠に閉じ込めるのではなく、「人類全体に開かれた知恵」として再定位しようとする試みだと言えるでしょう。儒教はもはや、中国だけの財産ではなく、より公正で調和のとれた倫理的な世界秩序づくりに貢献し得る「グローバルな資産」として見直されつつあります。
2025年を生きる私たちは、この動きを外から眺めるだけでなく、自分自身の価値観や日々の選択と静かに照らし合わせてみることができます。儒教の問いかけにどう応えるかは、一人ひとりがこれから考えていくべき、開かれた宿題なのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








