一つの物語を二度描く――『Dongji Rescue』と『The Sinking of the Lisbon Maru』 video poster
一つの出来事を、まったく違うスタイルの二つの映像作品が描き出しています。ドラマ『Dongji Rescue』とドキュメンタリー『The Sinking of the Lisbon Maru』。その二作品の監督であるGuan Hu(グアン・フー)氏とFang Li(ファン・リー)氏が、貴重な対面で「アート」「真実」「論争」をテーマに語り合いました。本記事では、その対談が投げかける問いを、日本語でわかりやすく整理します。
一つの物語を二つの映像作品で描く意味
今回取り上げるのは、同じ「物語」をベースにしながら、まったく異なるアプローチをとる二つの作品です。フィクションとして観客の感情に訴えかけるドラマ『Dongji Rescue』と、事実の積み重ねを重視するドキュメンタリー『The Sinking of the Lisbon Maru』。一つの出来事を複数のレンズで見ること自体が、すでに現代的な試みと言えます。
監督二人の対談は、「どこまでがアートで、どこからが事実なのか」「違う描き方が並び立つことに、観客はどう向き合えばよいのか」といった、2025年の私たちにとっても避けて通れないテーマにつながっていきます。
ドラマ『Dongji Rescue』:感情に寄り添うフィクション
『Dongji Rescue』は、いわゆる“実話ベースのドラマ”という形で、一つの物語を再構成していきます。フィクション作品では、登場人物の内面や人間関係、葛藤を強く打ち出すことができます。そのぶん、時間軸を圧縮したり、複数の人物をまとめて一人のキャラクターに集約したりと、物語の流れを優先する工夫も行われがちです。
対談の文脈からも、『Dongji Rescue』は観客に「もし自分がその場にいたらどう感じるか」を想像させることを重視していると受け取ることができます。涙を誘うシーンや緊張感のある展開は、その出来事を知らなかった人にまで、感情のレベルでメッセージを届ける力を持ちます。
ドキュメンタリー『The Sinking of the Lisbon Maru』:事実を見つめるレンズ
一方、『The Sinking of the Lisbon Maru』は「ドキュメンタリー」として制作されています。ドキュメンタリー作品は、証言や記録、現場の映像や音声など、事実に根ざした素材をどう組み立てるかがポイントになります。
観客は、ドラマよりも「これは実際にあったことなのだ」という意識で作品を受け止めます。その分、編集の仕方やナレーションのトーン、どの事実を強調しどの事実を省くのかといった判断が、「どこまでが事実で、どこからが解釈なのか」という議論を生みやすくなります。
同じ出来事を扱いながら、フィクションとドキュメンタリーで語られる「真実の輪郭」が微妙に異なって見える――。そこにこそ、今回の二作品の組み合わせのおもしろさがあります。
テーマ1:アートはどこまで事実を変えてよいのか
対談の軸の一つになったのが、「アートとしての表現は、事実をどこまで変えてよいのか」という問いです。これは実話をもとにしたあらゆる作品に共通するジレンマでもあります。
- 緊張感を高めるために、時間軸を圧縮するのは許されるのか
- 理解しやすさのために、複数の人物をまとめて一人のキャラクターにするのはどうか
- 観客の心に残るラストシーンのために、実際とは少し違う結末を描くことは許容されるのか
ドラマの側から見れば、「事実をなぞるだけでは、観客の共感は生まれにくい」という感覚があります。一方でドキュメンタリーの側には、「事実に手を加えすぎれば、それはもはや別の物語になってしまう」という慎重さがあります。
同じ出来事を扱う二人の監督が顔を合わせることで、その緊張関係が、より立体的に浮かび上がってきます。
テーマ2:観客は何を「真実」と呼ぶのか
もう一つの重要な論点は、「観客は何をもって真実だと感じるのか」という問題です。フィクションであっても、その人の心に深く刻まれた出来事は、「自分にとっての真実」として記憶されることがあります。一方で、どれほど丁寧に事実を積み上げたドキュメンタリーであっても、見る側の経験や価値観によって受け取り方は変わります。
今回の二作品は、同じ物語を違う方向から照らすことで、観客に次のような問いを投げかけているようにも見えます。
- 事実として「起きたこと」だけが、真実なのか
- 当事者がどのように感じ、どう生き抜こうとしたのかという「心の動き」は、真実ではないのか
- 作品を通じて生まれた記憶も、私たちの社会の「現実」の一部になっていくのではないか
アートと真実は対立する概念ではなく、むしろ互いを補い合う関係にある――二人の監督の対話からは、そんな視点も読み取れます。
テーマ3:論争が映し出す社会の緊張
両作品は、多くの観客の心をつかむ一方で、「論争(コンロヴァーシー)」も生みました。どの表現を強調するのか、どの場面を省くのか、といった選択が、作品への評価だけでなく、出来事そのものへの見方に影響を与えうるからです。
作品をめぐる議論や批判は、ときに作品そのものよりも激しくなることがあります。しかし、その論争は、社会がどこに敏感になっているのか、どんな価値観の違いがあるのかを映し出す鏡でもあります。
監督同士が直接対話する場は、そうした緊張を一度言葉にして可視化する試みでもあります。「なぜこの表現を選んだのか」「どこまでが許容される編集なのか」といった問いを、作り手同士が率直に交わすことで、観客もまた自分の立場を考え直すきっかけを得ることができます。
デジタル時代に二つの作品をどう見るか
配信サービスやSNSが当たり前になった2025年のいま、私たちは同じ出来事を扱った複数の作品を、短い時間で見比べることができます。それは、情報の受け手である私たちの側にも、これまで以上に「考えながら見る力」が求められているということでもあります。
もしあなたが『Dongji Rescue』と『The Sinking of the Lisbon Maru』の両方を見る機会があれば、次のような視点を意識してみるとよいかもしれません。
- 作品の目的を見る:感情に訴えたいのか、事実を記録したいのか、それとも両方なのか。
- 省略と強調を意識する:何が描かれ、何が描かれていないのか。その選択は何を意味しているのか。
- 自分の感情の動きを観察する:どの場面で心が動いたのか。それは事実そのものなのか、演出によるものなのか。
こうした見方を通じて、一つの出来事をめぐる複数の「物語」を、自分の中で立体的に組み立てていくことができます。
「読みやすいのに考えさせられる」物語へ
一つの物語を、ドラマとドキュメンタリーという二つのかたちで描いた『Dongji Rescue』と『The Sinking of the Lisbon Maru』。そして、その監督であるGuan Hu氏とFang Li氏の対談は、単に作品の裏話を知る機会にとどまりません。
それは、「私たちは、他者の経験や過去の出来事を、どのような物語として受け取りたいのか」という、より大きな問いにつながっています。ニュース、映画、ドキュメンタリー、SNSの投稿――あらゆる「物語」に囲まれて生きる私たちにとって、この問いはますます重要になっています。
newstomo.comとしては、今回の二作品と監督対談をめぐる議論を通じて、「読みやすいのに考えさせられる」視点をお届けしたいと考えています。二人の監督の対話が開いた「アートと真実」のあいだの広いグラデーションに、あなた自身はどこに立ちたいでしょうか。作品を観るとき、その問いをそっと頭の片隅に置いてみると、見えてくる景色が少し変わるかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








