黄河と万里の長城が出会う村 老牛湾を歩く
黄河と万里の長城が同じフレームに収まる場所がある――そんな一文だけで、地理や歴史が好きな人は少し心が動くのではないでしょうか。山西省の老牛湾(Laoniuwan)村は、まさにその「二つの象徴」が出会う地点として知られています。
この記事では、2021年9月23日と24日に山西省Pianguan County(偏関県)にある老牛湾村で撮影された写真を手がかりに、黄河と万里の長城、そして明代の堡塁(要塞)が重なる風景を、日本語でやさしく読み解いていきます。
黄河が山西省に入る場所、老牛湾
老牛湾村は、黄河が山西省に入り、万里の長城と交わる地点に位置します。黄河は中国の歴史や文明を語るうえで欠かせない大河であり、その流れが省の境界をかたちづくってきました。
一方、万里の長城は、古代から近世にかけて築かれた防御線として、さまざまな時代の政治や軍事の変化を映し出してきました。老牛湾では、この二つが同じ視界のなかに収まり、「自然の境界」と「人工の境界」が交差する風景が生まれています。
明代の堡塁が語るもの
老牛湾村がもう一つ知られている理由は、明代(1368〜1644年)に築かれた堡塁が残っていることです。堡塁とは、外敵の侵入を防ぐために造られた小規模な要塞や砦のことを指します。
黄河と長城が交わる要衝に堡塁が建てられたことは、この場所が軍事的にも重要視されていたことを示しています。水運のルートと陸上の防衛線が重なる地点を押さえることは、当時の支配者にとって、領域を守るうえで欠かせない戦略だったと考えられます。
2021年の写真が切り取った風景
今回紹介している老牛湾の姿は、2021年9月23日と24日に撮影されたものです。2025年の今から見ると、約4年前の秋の景色ということになりますが、黄河の流れや長城の石積み、それを見下ろす堡塁の輪郭は、大きく変わることなくそこにあり続けていると想像できます。
写真に写るのは、単なる観光地の風景ではありません。大河が形づくる地形、山の稜線に沿って築かれた長城、その傍らに立つ堡塁――それぞれが、長い時間のレイヤーを重ねるようにして一つの風景を構成しています。
地理と歴史が交わる「教材」のような場所
老牛湾の特徴は、教科書で別々に学んできた「黄河」「万里の長城」「明代の防衛」というテーマが、一つの地図の上で出会っている点にあります。地理と歴史を同時にイメージしやすい、いわば「立体的な教材」のような場所だと言えるかもしれません。
- 黄河=文明を育んだ大河
- 万里の長城=長期にわたる防衛と統治の象徴
- 明代の堡塁=地域レベルでの軍事と治安の拠点
これらが同じ空間に存在することで、「国を守るとはどういうことか」「自然の境界と人がつくる境界はどう違うのか」といった問いも、より具体的に想像しやすくなります。
2025年の視点から老牛湾を見る意味
2025年の今、遠く離れた老牛湾の風景を日本語で眺めることには、少なくとも二つの意味がありそうです。一つは、国境や安全保障をめぐる議論が続くなかで、「境界」をめぐる歴史的な感覚を更新する手がかりになること。もう一つは、自然と人間の営みが長い時間をかけて重なっていくプロセスに、あらためて目を向けるきっかけになることです。
スマートフォンの画面越しに見る黄河や長城の風景は、地図アプリやニュース記事の中の「情報」として消費されてしまいがちです。しかし、その背後には、何世代にもわたる人々の暮らしや選択が折り重なっています。2021年に老牛湾で撮影された写真は、その長い時間のごく一瞬を切り取ったものにすぎませんが、だからこそ、2025年の私たちに静かな想像力を促してくれます。
いつか老牛湾のような場所を訪れる機会があれば、黄河の流れと長城、そして明代から続く堡塁の輪郭を、一枚の風景として眺めてみるとよいかもしれません。その視線の先には、教科書には載りきらない、中国の歴史と地理の重なりが広がっているはずです。
Reference(s):
Laoniuwan Village: Where the Yellow River meets the Great Wall
cgtn.com








