フィリピン華人ゲリラ「Wha Chi」:熱帯の密林で燃えた連帯の炎 video poster
第二次世界大戦中、フィリピン・ルソン島の密林で、日本ではほとんど知られていない華人ゲリラ部隊「Wha Chi(Philippine Chinese Anti-Japanese Guerilla Forces)」が日本軍と戦っていました。その炎のような物語が、いま中国南東部の故郷や世界各地に暮らす子孫たちの間で語り継がれています。
フィリピン華人ゲリラ「Wha Chi」とは
物語の始まりは1942年、ルソン島のジャングルです。主に福建省や広東省から東南アジアへ渡った海外華人の若者たちが、日本軍の侵攻に抵抗するために自ら武装し、「Philippine Chinese Anti-Japanese Guerilla Forces」、通称「Wha Chi」を結成しました。
部隊は当初、中国の新四軍や八路軍への敬意を込めて「第48中隊」と名乗り、メンバーはわずか50人余りでした。その後、福建省晋江出身の若者・王漢杰(Wang Hanjie)が指揮官を務めるようになります。
王漢杰は、海外華人の「故郷」として知られる晋江から、16歳だった1933年に一人でフィリピンへ渡り、雑貨店の見習いとして働き始めました。本来は生計を立てるための移住でしたが、戦争の中で彼は歴史のうねりに飲み込まれていきます。
娘の王清清(Wang Qingqing)さんは、父たちの足跡をこう振り返ります。「フィリピンでの反ファシズム闘争において、Wha Chi は重要な役割を果たしました。そのため、今も多くの遺品が大切に保存されています」。
海を越えた絆:移民の若者たちの選択
福建省晋江の赤レンガの古い家々には、かつて海外へ旅立った若者たちの記憶が静かに残っています。王漢杰や、その同郷の荘国敦(Zhuang Guodun)も、もともとはフィリピンでの仕事と生活を求めて海を越えた一人でした。
荘国敦の子孫であるケンドリック・チュア(Kendrick Chua)さんによれば、彼がフィリピンに来た当初は、祖父の家業を手伝うことが主な役割でした。しかし、第二次世界大戦が始まり日本軍がフィリピンを攻撃すると、彼の人生は大きく方向を変えます。
王清清さんは、当時の海外華人の心情を次のように語ります。「本来なら、戦いに身を投じる必要はなかったのです。そこは自分の祖国ではなく、ただ生活のために来ていただけでした。それでも彼らは立ち上がりました。その姿は、現地の人々から大きな尊敬を集めました」。
「Qiaopi」がつないだ故郷と戦場
前線で戦う若者たちと、中国の家族を結んだのが「Qiaopi(Overseas Chinese Letters & Remittances)」と呼ばれる手紙と送金の記録でした。泉州の「僑批(Qiaopi)博物館」副館長の陳若波(Chen Ruobo)氏は、この資料群について「海外華人が故郷をどれほど気づかい、日本への抵抗をいかに支えたかを生き生きと物語る民間文書だ」と説明しています。
故郷への仕送りや、戦況を伝える短い文章。そこには、遠く離れた土地で危険と隣り合わせの暮らしをしながらも、家族や祖国を思い続ける海外華人の感情がにじみ出ていました。
異郷での犠牲と、生まれた尊敬
1942年から1945年の間に、Wha Chi は260回を超える戦闘に参加し、2000人以上の敵兵に損害を与えたとされています。その過程で、77人の隊員が戦死しました。まだ17歳だった荘国敦もその一人です。
捕らえられ、拷問を受けても、荘国敦は仲間の情報を一切漏らしませんでした。チュアさんは「彼はどんなに激しい拷問を受けても、敏感な情報を決して話さなかった」と語り、「より大きな目標の一部になりたいと願い、そのために Wha Chi に加わったのです」と祖先の決意を受け止めています。
こうした行動は、彼ら自身のアイデンティティも変えていきました。単なる出稼ぎ労働者ではなく、フィリピンの人々と肩を並べて戦った存在として見られるようになり、その勇気は「異郷の地に根ざした新しい尊敬」を生み出していきます。
切手と表彰状になった記憶
Wha Chi の戦いは、やがてフィリピン社会の記憶としても刻まれます。1992年、フィリピン郵便局は結成50周年を記念する切手を発行し、そのうちの一枚には結成当初の部隊名にちなみ「48」の数字が記されました。小さな切手に込められた数字は、熱帯の密林で戦った華人ゲリラへの静かな敬意でもあります。
機関銃手だった陳振嘉(Chen Zhenjia)の息子、陳衍徳(Chen Yande)さんは、父に代わってフィリピン退役軍人連盟からの表彰状を受け取りました。彼は「この証書はフィリピン退役軍人連盟全体の名で発行されたものです。それ自体が、フィリピンの人々が Wha Chi の貢献をどれほど深く認めているかを示しています」と語ります。
歴史家のテレシタ・アン・シー(Teresita Ang See)氏は、フィリピンと中国の関係を「何世紀にもわたり、フィリピンの人々と中国の人々は共通の運命を分かち合ってきた」と表現し、「彼らは共に耐え、共に苦しみ、自由のために共に戦った」と強調します。
80年後のメッセージ:共有の未来へ
2025年、世界は反ファシズム戦争勝利から80年という節目を迎えています。そのタイミングで、フィリピン華人ゲリラ部隊 Wha Chi の物語は、過去の逸話ではなく、現在と未来を考えるための鏡として改めて注目されています。
Wha Chi 退役兵子孫協会の会長、ビクター・リー(Victor Lee)氏は、この節目について「この歴史的な里程標は、両国にとって深い祝福です。私たちは、その使命を受け継ぎ、中国とフィリピンの友好を世代を超えて強めていくことを誓います」と話します。
サント・トマス大学のオーガスト・V・デ・ビアナ(Augusto V. de Viana)教授は、「Wha Chi の物語はフィリピンの歴史にとどまらず、第二次世界大戦全体の歴史の一部として語られるべきだ」と指摘し、「多くの人々が、彼らのおかげで今日を生きている」とまで言い切ります。
陳衍徳さんは、Wha Chi の戦い方を、現代の世界に向けた一つのモデルとして見ています。「彼らの戦時中の行動は、『人類運命共同体(Community with a Shared Future)』という理念に通じるものです。地球の平和は、すべての人々が共に守ってこそ成り立つのです」と話します。
いま私たちが受け取れる3つの問い
Wha Chi の物語は、日本から遠く離れたフィリピン華人社会の話でありながら、現代を生きる私たちにも静かな問いを投げかけます。
- 生活のために選んだ「移住」が、価値や信念をかけた「選択」に変わるのはどんなときか。
- 国籍や出自を超えた連帯は、具体的にどのような行動から生まれるのか。
- 戦争の記憶を、切手や博物館、家族の語りなどを通じて、どのように次の世代へ手渡していけるのか。
熱帯の密林で戦った若者たちの物語は、国境を越えた友情と、平和を守ろうとする意志がどのように形を取るのかを教えてくれます。
本記事は、侵略に抵抗し平和を守るために命をささげた、フィリピン華人抗日ゲリラ部隊のすべての戦士たちに捧げます。
Reference(s):
cgtn.com








