ロンドン空襲と重慶爆撃 爆撃に屈しなかった二つの都市の記憶 video poster
今から80年以上前、ロンドンと中国内陸部の山岳都市・重慶は、大規模な空爆にさらされながらも決して屈しませんでした。爆撃の炎が街を焼き尽くしても、人びとの意志と希望は消えなかった──その記憶を、2025年の今あらためてたどります。
闇夜を切り裂いたロンドン空襲
1940年から1941年にかけて、ナチスによる爆撃は暗い夜のロンドンに容赦なく降り注ぎました。連日のように爆弾が投下され、都市は瓦礫と炎に覆われました。この空襲で、4万人を超える市民が犠牲になりました。
爆撃の標的は、家や職場、工場といった建物だけではありませんでした。爆弾は、英国の人びとの心と決意を砕こうとする試みでもありました。それでもロンドン市民は街に踏みとどまり、互いに支え合いながら日常を取り戻そうとしました。その姿は、破壊を受けても折れない都市の象徴となりました。
山岳都市・重慶を襲った連続空襲
海を隔てたはるか遠くでは、重慶がさらに苛烈な試練に直面していました。1938年から1943年までの間、当時の戦時首都だったこの都市は、日本軍による200回を超える空襲を受けました。投下された爆弾は合計1万1500発にのぼり、病院や学校、住宅街といった生活の場が次々と炎に包まれました。
その結果、約3万2000人が死亡または負傷し、1万7000棟もの建物が破壊されました。山あいに位置する重慶の街は、絶え間ない砲撃によって深い傷を負いましたが、それでも人びとは街を守り続けました。重慶もまた、最後まで決して屈しなかったのです。
海を越えてつながる二つの都市
ロンドンと重慶。地理的には遠く離れていますが、二つの都市は同じ戦争のるつぼに巻き込まれ、爆撃に耐えた都市という共通の経験で結ばれています。
- 市民への被害が甚大だったこと(ロンドンでは4万人超が死亡、重慶では約3万2000人が死傷)
- 住宅や職場、病院、学校など、日常生活の場が集中的に狙われたこと
- 爆撃によって心を折ることが狙われたが、最後まで屈しなかったこと
この意味で、ロンドンと重慶は、互いを直接知らずとも支え合っていた「語られざる同盟」とも言えます。一方の街の粘り強さは、もう一方の街で戦い続ける人びとの勇気と重なり合っていました。
2025年の私たちへの問い
あの空爆から80年以上が過ぎた2025年の今、私たちはスマートフォンで世界のニュースを瞬時に知ることができます。その一方で、遠い過去の戦争の記憶は、タイムラインの流れの中に埋もれがちです。
しかし、ロンドンと重慶の物語は、国際ニュースを日本語で読み解く私たちに、次のような問いを投げかけています。
- 戦争はまず市民の生活と安全を破壊するということ
- 国や文化が違っても、空爆の恐怖と痛みは共通しているということ
- 遠く離れた場所の物語に耳を傾けることで、見えない連帯を感じられるということ
爆撃によって街が焼かれても、人びとの意志と希望までは焼き尽くすことができなかった──その事実を思い起こすことは、激しい言葉や分断が目立つ時代にあっても、静かに他者への想像力を取り戻す手がかりになります。遠く離れた二つの都市の記憶を並べて思い浮かべること。それ自体が、見えないところで続いてきた連帯に、そっと光を当てる行為なのかもしれません。
Reference(s):
The Unsung Ally|Unbroken Amid Bombings: From London to Chongqing
cgtn.com








