新疆のカザフ刺繍:ハティマさんが受け継ぐ2,000年の記憶
中国の新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uygur Autonomous Region)で、多くのカザフの人々がかつての遊牧生活に別れを告げるなか、伝統の刺繍を通じて「民族の記憶」を守り続けている女性がいます。カザフ刺繍の伝承者ハティマ・アイナイドゥさんです。
遊牧の記憶を刺繍に込めて──ハティマさんとは
ハティマ・アイナイドゥさんは、40代後半のカザフの女性で、新疆ウイグル自治区のウルムチ県でカザフ刺繍の会社を運営し、自治体レベルのカザフ刺繍伝承者として認定されています。約20年以上にわたり、カザフの民俗文化を広める活動に力を注いできました。
かつて多くのカザフの人々は遊牧の暮らしを送っていましたが、ライフスタイルが変化した今も、ハティマさんは家族から受け継いだ手仕事を通して、民族としての記憶や感覚を丁寧に次の世代へとつないでいます。
カザフ刺繍とはどんな文化か
ハティマさんによると、カザフ刺繍は次のような場面で広く使われてきました。
- カザフの伝統的な移動式住居であるユルト(天幕)の中に敷かれるカーペットやタペストリー
- 衣服や装飾品
- 日常的に使うさまざまな生活用品
彼女はCGTNの取材に対して、カザフ刺繍は「生活を飾り、感情を表現し、文化を受け継ぐための大切な方法」であり、国家レベルの代表的な無形文化遺産の一つに位置づけられていると説明しています。
カザフ刺繍の歴史は2,000年以上とされ、初期には鹿の皮(ディアスキン)などの動物の毛皮に刺繍を施し、馬具の鞍やユルトを飾るために用いられていたといいます。実用品であると同時に、美意識と信仰、生活の知恵が詰まった工芸でもあります。
花嫁修業としての刺繍
かつてカザフ社会では、刺繍は結婚の場面でも重要な役割を果たしていました。刺繍を施した品々は嫁入り道具の中でも特に大切な存在とされ、「刺繍ができない娘は結婚が難しい」と言われていたほどだといいます。
そのため、多くのカザフの少女たちは、針を持てるようになる年頃になると、自然と刺繍を習い始めました。生活のいたるところに刺繍があり、それを作る技術は、暮らし方そのものと結びついていたのです。
祖母から母へ、母から娘へつながる針仕事
ハティマさん自身も、こうした文化の流れの中で育ちました。刺繍の技は母親から学び、母親はそのまた母親である祖母から受け継いでいました。祖母は地域でよく知られた刺繍の名人だったといいます。
ハティマさんの記憶の中で、家族の姿はいつも針と糸とともにあります。物心ついたときから、母親と2人の姉がベッドの上に座りながら、スカーフ、ベッドカバー、毛布、枕カバー、ハンカチなどに刺繍を施している光景を見て育ちました。
その姿を見続けるうちに、ハティマさん自身も自然と刺繍に引き寄せられ、やがて「夢中になってしまった」と振り返っています。刺繍は単なる技術ではなく、家族の時間そのものを形作るものでもあったのでしょう。
会社経営というかたちで守る伝統
現在、ハティマさんはウルムチ県で会社を運営しながら、カザフ刺繍の普及と継承に取り組んでいます。長年の経験と家族から受け継いだ技を生かし、民俗文化を現代の生活の中にどう生かすかを模索し続けています。
刺繍は、もともと家庭の中で受け継がれてきた技ですが、それを会社という場に広げることで、多くの人が伝統に触れ、関わる機会が生まれています。遊牧生活から離れた人が増えた今だからこそ、布の上に刻まれた模様が、カザフとしてのルーツや物語を思い出させる手がかりにもなっています。
「民族の記憶」を未来へつなぐということ
多くのカザフの人々が新しい暮らし方を選ぶようになった一方で、ハティマさんは、刺繍というかたちで民族の記憶を残し続けています。刺繍に込められているのは、遊牧の生活、家族のつながり、結婚の儀礼、そして日々の感情や祈りです。
針と糸で布に描かれる文様は、単なる装飾ではなく、過去と現在、そして未来をつなぐ「目に見える記憶」といえます。伝統を守るということは、昔のやり方をそのまま残すだけではなく、時代の変化の中で人々が自分たちのルーツをどう意味づけるかを考え続ける営みでもあります。
新疆ウイグル自治区でカザフ刺繍を続けるハティマさんの姿は、急速に変化する世界の中で、「自分たちの文化をどう受け継ぎ、どう次の世代に手渡していくか」という問いを、私たち一人ひとりにも静かに投げかけているようです。
Reference(s):
cgtn.com







