雲南省ジンマイ山の雨林で学ぶ、ブラン族のエコロジーと古茶樹の知恵 video poster
世界が気候変動対策を巡って最新技術や国際交渉を議論する2025年、雲南省ジンマイ山の雨林では、若いブランの男性が静かに別の答えを示しています。彼に導かれて森の奥へ踏み込むと、そこには人と自然が長い時間をかけて築いてきたエコロジーの知恵が息づいています。
若いブランの案内人が見せてくれた雨林
この物語の舞台は、雲南省ジンマイ山の熱帯雨林です。若いブランの男性が先頭に立ち、訪れた人を静かな森の奥深くへと案内します。足元には湿った土、頭上には幾層にも重なる枝葉。都市の喧騒から遠く離れたこの場所で、時間の流れはまったく違って感じられます。
ブランの人々にとって、この雨林は単なる自然ではありません。生活を支える場であると同時に、先祖から受け継いだ信念や知恵が刻み込まれた場所です。森を歩くという行為そのものが、世代をつなぐ学びのプロセスになっています。
世界が議論する気候変動、森で育まれてきた別の解答
世界各地で気候変動を巡る議論が続くなか、ジンマイ山のブランの人々は、何千年もの時間をかけて独自の解決策を育んできました。それは目を引く巨大プロジェクトでも、最先端の技術でもありません。森と共に暮らすための、ごく日常的な信念と実践です。
彼らの世界観を一言で表すなら、人間は自然を征服する必要はなく、共に生きるべき存在だという考え方です。この視点に立てば、森は開発の対象ではなく、対話しながら共存する相手になります。
技術よりも信じ方との問いかけ
ブランの人々にとって、持続可能性とは最新の機械や制度だけで実現できるものではありません。大切なのは、森を前にしたときに自分たちが何を信じ、どのような関係を結ぶのかという信じ方です。技術よりも先に、自然への向き合い方が問われているのです。
この視点は、技術革新一辺倒になりがちな現代の気候変動議論に、静かだが重要な問いを投げかけています。
何百年も生きる古茶樹が語るもの
雨林の奥には、何世紀にもわたって生き続けてきた古い茶の木があります。この古茶樹は、ブランの人々と森との関係を象徴する存在です。一本の木のまわりに、季節ごとの変化や土や水の状態、鳥や昆虫の動きが集まり、それが暮らしの判断材料になってきました。
古茶樹にまつわる知恵は、世代から世代へと口承や実践を通じて受け継がれてきました。どの葉を摘むのか、どの季節に手を触れないのか、といった細かな感覚の積み重ねが、長い時間のなかで森を守り、生活も成り立たせてきたのです。
資源ではなく、共に生きる存在
こうした関係のなかで、古茶樹は単なる資源ではなく、共に時間を生きる存在として扱われます。木を最大限に利用することよりも、次の世代も同じ森と出会えることのほうが重んじられます。その価値観が、結果として持続可能な暮らしを支えてきました。
雨林は生態系であり、ひとつの文明でもある
ブランの人々にとって、ジンマイ山の雨林は単なる生態系ではなく、文明と呼ぶべき存在です。そこには植物や動物、土や水だけでなく、人の記憶や物語、儀礼や信仰が折り重なっています。森を理解することは、自分たちの文明を理解することと同じ意味を持ちます。
この文明観のなかでは、人間は中心ではなく、あくまで全体の一部です。人間が森を管理するのではなく、森のリズムに自らを合わせていく。その姿勢こそが、気候変動の時代を生きるうえでの重要なヒントになり得ます。
ジンマイ山から、私たちの日常への問いかけ
遠く離れたジンマイ山の話は、日本で暮らす私たちの毎日とも無関係ではありません。エネルギーの使い方や、ものの買い方、食べ方など、一見小さな選択の積み重ねも、自然との関係を形づくる行為です。
若いブランの男性に導かれて雨林を歩くイメージを思い浮かべるとき、私たちもまた、自分の足元の自然とどう付き合うのかを問い直すことができます。持続可能性を技術の問題とだけ見るのではなく、どのように世界を信じ、どのような文明を選ぶのかという視点から考えてみる。そのきっかけを、ジンマイ山の雨林は静かに提示しているのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








