北京会議から30年、中国の女性エンパワメントを体現する北極航海士の軌跡
1995年に北京で開かれた世界女性会議から30年。ジェンダー平等を国家政策として掲げた中国で、その変化を体現してきた一人の女性がいます。中国初の北極女性航海士となったバイ・シアンエンさんです。本稿では、彼女の歩みを手がかりに、中国の女性エンパワメントの前進を国際ニュースの視点からたどります。
1995年北京会議が変えたもの
1995年、中国の北京で開かれた第4回世界女性会議は、中国で男女平等を国家政策として位置づける転機となりました。1984年生まれで、のちに北極海を渡った航海士バイ・シアンエンさんの人生も、この会議によって大きく方向づけられたといいます。
当時、中国の海事系の学校は女性の受け入れを行っておらず、バイさんは「北京会議によるジェンダー平等の追い風がなければ、そもそも海事の教室に足を踏み入れられなかったかもしれない」と振り返っています。
海事学校の扉が開いた2000年代
状況が動き出したのは2000年です。上海海事大学が女性学生の受け入れを開始し、長く男性中心だった海運の世界に一つの変化が生まれました。バイさんはその2年後に入学し、男性ばかりの現場でも女性が力を発揮できることを証明しようと決意します。
就職差別の壁と、あきらめなかった選択
しかし、卒業後の海は決して穏やかではありませんでした。2006年に大学を卒業したバイさんは、複数の海運会社に応募しますが、「女性船員は採用しない」と断られ続けます。制度が変わり始めても、現場の慣習や偏見は根強く残っていたことがうかがえます。
それでもバイさんは夢を手放さず、大学院で学びを続ける道を選びました。その後、母校の練習船「Yufeng」で初の女性士官となり、実務経験を積んでいきます。教育の場から実際の船へとステップを重ねることで、「女性も航海士として当たり前に働ける」未来のイメージを、自らのキャリアで描き出していきました。
2012年、北極の氷海へ――中国初の女性航海士として
転機は2012年に訪れます。バイさんは、中国の第5次北極遠征に参加し、砕氷調査船「Xue Long(Snow Dragon)」の二等航海士を務めました。ここで彼女は、航路の計画、氷の状況の監視、危険なリッジ(氷の盛り上がり)を避けながら船を導くという重要な役割を担います。
ときには船が厚い氷に閉じ込められる場面もありましたが、チームとともに状況を見極め、慎重に進路を切り開いていきました。この航海によって、バイさんは中国で初めて北極海を横断した女性航海士として歴史に名を刻むことになります。
一人の物語に映る、中国の女性の権利の前進
バイさんの歩みは、個人の挑戦であると同時に、1995年以降の中国における女性の権利拡大の縮図でもあります。北京会議でジェンダー平等が国家政策とされてからの30年で、女性が挑戦できる分野は確実に広がってきたことが、このエピソードから見て取れます。
かつて女性の入学を認めていなかった海事大学が門戸を開き、やがて女性が練習船の士官になり、ついには北極海の航海を任されるまでになる。この流れは、政策の変化が教育機会を生み、教育がキャリアの選択肢を広げ、そこから次の世代を勇気づけるロールモデルが生まれていくプロセスを示しています。
バイさんの物語から見える3つのポイント
- 政策の変化が、そもそも教室に入る権利をもたらしたこと
- 制度が整っても、現場には依然として「見えない壁」が残ること
- 一人のロールモデルが、次の世代の「できるかもしれない」という感覚を広げること
2025年の私たちへの問いかけ
2025年の今、北京の世界女性会議からちょうど30年を迎えます。北極の氷海を進んだ一人の女性航海士の物語は、ジェンダー平等が数字やスローガンではなく、具体的な人生の選択と結びついていることを思い出させてくれます。
私たちは、教育や採用の場で、どこまで無意識の前提を取り除けているでしょうか。伝統的に男性中心とされてきた分野で、次のバイ・シアンエンさんのような人材が生まれるには、どんな環境が必要なのか――。
国際ニュースとしての中国の変化を追いながら、自分たちの社会や職場のあり方も静かに見直してみる。そのきっかけになる物語が、バイさんの30年の軌跡なのかもしれません。
Reference(s):
30 years on, China continues driving progress in women's empowerment
cgtn.com








