ノーベル物理学賞の楊振寧氏が死去 現代物理学と中国科学に残した遺産
2025年12月6日、現代物理学の発展を牽引してきたノーベル物理学賞受賞者の楊振寧(Yang Chen Ning/Chen Ning Yang)氏が、北京で103歳で亡くなりました。弱い相互作用における空間反転対称性(パリティ)の破れの理論的提案や、ヤン=ミルズ理論などで知られ、その仕事は標準理論と呼ばれる現在の素粒子物理学の基礎を形づくっています。
中国出身の科学者として初めてノーベル賞を受賞し、中国とアメリカの学術交流の架け橋としても活動してきた人物の死去は、国際ニュースとしても大きな意味を持ちます。本記事では、その生涯と業績、そして2025年の今につながるレガシーを振り返ります。
合肥から世界へ:若き日の楊振寧
楊氏は1922年、東部の都市・合肥(安徽省)に生まれました。1938年に西南聯合大学(National Southwest Associated University)に入学し、戦中の困難な時代に物理学を学びます。1944年には清華大学で理学修士号を取得しました。
1945年、楊氏は国費留学生としてアメリカへ渡り、シカゴ大学で研究を続けます。1948年に博士号(PhD)を取得したのち、同大学に残って研究員として勤務しました。
プリンストン、ストーニーブルックでの研究生活
1949年、楊氏はプリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study)に移り、1952年には終身メンバー、1955年には教授となりました。ここでの仕事は、後のノーベル賞受賞につながる重要な理論研究の土台となりました。
1966年にはニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のアインシュタイン教授に就任し、同大学に理論物理学研究所を創設します。この研究所はのちに「C.N. Yang Institute for Theoretical Physics」と呼ばれるようになり、多くの理論物理学者を輩出しました。楊氏は1999年までこの地で研究と教育に携わりました。
ノーベル賞をもたらしたパリティの破れ
1957年、楊振寧氏と李政道(Tsung-Dao Lee)氏は、弱い相互作用と呼ばれる素粒子の働きにおいて、左右の対称性(パリティ)が必ずしも保存されないという理論を提案し、ノーベル物理学賞を共同受賞しました。
それまで物理学では、「自然法則は左右を入れ替えても同じように成り立つ」と考えられていました。楊氏らは、この自明とされていた仮定を疑い、実験で検証可能な形で問題提起をしました。その後の実験でパリティの破れが確認され、物理学の常識は大きく書き換えられました。
この業績により、楊氏と李氏は中国出身の科学者として初のノーベル賞受賞者となり、世界の科学界に強いインパクトを与えました。
ヤン=ミルズ理論:標準理論の土台に
楊氏の名は、ロバート・ミルズ氏とともに提案したヤン=ミルズゲージ理論として、現代物理学の教科書に刻まれています。この理論は、その後構築された素粒子の標準理論の基礎となりました。
ヤン=ミルズ理論を、ごく大まかに言い換えると、次のような考え方です。
- 自然界には対称性があり、その対称性を保つためには特定の形の力(ゲージ場)が必要になる。
- 電磁気学では、その役割を果たすのが電磁場であり、これを一般化したのがヤン=ミルズ理論である。
- この枠組みの中で、強い相互作用や弱い相互作用など、さまざまな力が統一的に記述できる。
この考え方は、マクスウェル方程式やアインシュタインの一般相対性理論と並んで、現代物理学の柱とされています。2025年の現在も、素粒子物理学や宇宙論の多くの研究は、ヤン=ミルズ理論を前提として進められています。
数学・統計物理にも広がった影響
楊氏は、統計力学や凝縮系物理学の分野でも大きな足跡を残しました。特に、一次元の量子多体系を研究する中で発見したヤン–バクスター方程式は、統計物理だけでなく、数学の新しい研究分野を開く役割を果たしました。
その結果、楊氏は世界各国の科学アカデミーの名誉会員に選ばれ、20以上の名誉博士号を授与されました。また、アメリカ国家科学賞、フランクリン・メダル、オンザガー賞、キング・ファイサル国際賞(科学部門)、中国国際科学技術合作賞、裘槎終身成就賞など、数多くの国際的な賞を受けています。
中国とアメリカをつないだ学術交流の先駆者
国際ニュースという観点で見逃せないのが、楊氏が中国と海外の学術交流に果たした役割です。1971年、楊氏は中国を訪問し、中国本土と海外の中国出身研究者との交流の流れを生み出しました。この動きが、のちの中国とアメリカの学術交流の拡大につながったと評価されています。
楊氏はまた、Committee on Scholarly Communication with China(中国との学術交流委員会)の設立にも関わり、この枠組みを通じて、約100人の中国の研究者がアメリカで学ぶ機会を得ました。彼らの多くは、その後の中国の科学技術発展を支えるリーダーとなりました。
清華大学での第二の人生
長年のアメリカでの研究生活を経て、楊氏は1999年に中国本土へ戻り、清華大学に着任します。清華大学では教授として教壇に立つとともに、高等研究所の名誉所長として若手研究者の育成や国際共同研究の推進に力を注ぎました。
この20年以上の活動を通じて、楊氏は基礎科学の重要性を繰り返し訴え、中国本土の高等教育と研究体制の強化に影響を与えました。多くの研究者が、楊氏との対話や指導が自らの研究生活を方向づけたと回想しています。
2025年の私たちが受け継ぐもの
楊振寧氏の死去は、物理学者だけでなく、科学と社会の関係を考えるすべての人にとって、一つの節目といえます。彼の歩みには、次のようなメッセージが読み取れます。
- 当たり前に見える前提を疑い、理論と実験の両方から自然を問い直す姿勢。
- 国境を越えた学術交流が、個人のキャリアだけでなく、国や地域の科学技術を長期的に底上げするという視点。
- 短期的な成果だけでなく、基礎科学に長く投資し続けることの重要性。
グローバルな課題が複雑さを増す2025年、国際ニュースとして楊氏の訃報を受け止めることは、科学と社会をどうつなぐのか、知識を次世代にどう引き継ぐのかをあらためて考えるきっかけにもなります。
103年の生涯を通じて、理論物理学から教育、国際交流まで幅広い分野で足跡を残した楊振寧氏。その遺した理論と思想は、これからも世界中の研究者や学生たちの中で生き続けていきます。
Reference(s):
cgtn.com







