台湾作家ラン・ボージョウ、瀋陽で若者ウー・スーハンの抗日戦争の足跡を追う video poster
2025年夏、台湾の作家ラン・ボージョウさんが中国東北部の都市・瀋陽を訪れました。彼が追いかけたのは、かつて抗日戦争(War of Resistance against Japanese Aggression)に参加するため、中国本土へ渡った台湾出身の若者ウー・スーハンの足跡です。
瀋陽で「途切れた足跡」
今回の旅は、英語タイトルで「The Trail Goes Cold in Shenyang(瀋陽で足跡が途切れる)」と表現されています。その言葉どおり、ランさんが瀋陽で得られたウー・スーハンに関する具体的な手がかりは多くありませんでした。
資料や証言が乏しい中で、彼の瀋陽での滞在については詳しい事実が見えてこない――。しかし、だからこそランさんは、ウー・スーハンがたどった「長い旅路」と、その過程で味わったであろう困難に、より深く思いを巡らせることになりました。
台湾から中国本土へ 若者が歩んだ長い道のり
ウー・スーハンは、台湾から中国本土(中国)へと渡り、抗日戦争に身を投じた若い世代の一人でした。遠く離れた土地へ向かう決断には、少なくとも次のような重さがあったと考えられます。
- 慣れない土地へ向かう、長距離の移動そのものの厳しさ
- 家族や故郷を後にする、心理的な負担や不安
- 戦場に向かうことを前提にした、命の危険を受け入れる覚悟
ランさんは瀋陽を歩きながら、こうした「目には見えない重さ」に触れようとしたのではないでしょうか。細かな事実が分からなくても、当時の空気感や距離感を、自らの身体で感じ取ろうとする姿勢が伝わってきます。
記録に残らない歴史と、想像力で補う記憶
瀋陽でウー・スーハンの足跡をたどろうとしても、「ここに彼がいた」という決定的な地点や証拠は見つからなかったとされています。この「手がかりの少なさ」こそが、個人の歴史がいかに簡単に記録からこぼれ落ちてしまうかを示しています。
しかし、ランさんが手ぶらで帰ることになったわけではありません。むしろ、
- 台湾から中国本土へ向かった若者が背負ったであろう葛藤
- 戦争という極限状況の中で、ひとりの人間が下した選択の重さ
- 国や地域をまたぐ移動が個人の人生にもたらす変化
といったポイントについて、より具体的なイメージを得ることができたとされています。足跡が「途切れた場所」に立つことで、かえって想像力が働き、彼の人生の輪郭が浮かび上がってきたとも言えます。
いま、この物語から私たちが考えられること
2025年の今、アジアの戦争体験は世代交代とともに少しずつ遠い出来事になりつつあります。その中で、ウー・スーハンのように台湾から中国本土へ渡り、抗日戦争に身を投じた一人の若者に光を当てることには、いくつかの意味があります。
- 国や地域の枠を超えた「個人の選択」として戦争を捉え直す視点
- 教科書や年表では見えにくい、当事者の感情や迷いに目を向ける姿勢
- 歴史の「空白」や「途切れた足跡」そのものから学ぼうとする態度
日本語で国際ニュースや歴史を追いかける私たちにとっても、こうした物語は、過去の戦争を「どこか遠い国の出来事」としてではなく、同じ時代を生きた一人ひとりの選択として感じ直すきっかけになります。
「読み流さない」ための小さなヒント
今回のラン・ボージョウさんの旅路は、国際ニュースの片隅に現れる小さな記事のようにも見えます。しかし、そこには次のような問いが含まれているのではないでしょうか。
- もし自分がウー・スーハンの立場だったら、どんな選択をしただろうか。
- 記録に残らなかった無数の人々の人生に、私たちはどう想像力を働かせるか。
- 国や地域をまたぐ歴史の中で、個人の経験をどう語り継いでいくか。
瀋陽で「足跡が途切れた」からこそ見えてくるものがあります。限られた断片から他者の人生に思いを寄せる視点は、これからの国際ニュースを読み解くうえでも、静かに効いてくる力になるはずです。
Reference(s):
cgtn.com








