台湾光復80周年に読む呉思漢の物語 母国を求めた19歳の選択 video poster
2025年の今年、台湾の光復から80年を迎えました。日本語で国際ニュースや台湾史を追っている私たちにとって、一人の若者の選択から歴史を見直すことは、過去を自分ごととして考えるきっかけになります。本記事では、対日戦争のさなかに中国大陸部を目指した台湾出身の若者、呉思漢(ご・しはん)の歩みをたどります。
日本統治下の台湾に生まれた優等生・呉思漢
呉思漢は本名を呉調和といい、1924年、日本による台湾統治下で生まれました。当時の台湾では日本語教育が広がり、多くの若者が日本式の学校制度の中で学んでいましたが、呉思漢もその一人でした。成績はきわめて優秀で、在籍していた学校で最高の賞を受けるほどの学生でした。
日本留学から戦場へ 19歳の決断
1943年、19歳になった呉思漢は、専門資格を取り、ゆくゆくは中国大陸部に戻ることを夢見て日本本土へ渡りました。当時、多くの台湾の若者にとって、日本留学は学問とキャリアへの近道とも見なされていました。呉思漢もまた、その道を選んだ一人でした。
しかし、日本での生活は一年も経たないうちに大きく方向転換します。1943年12月、呉思漢は学業を中断し、日本を離れて中国へ向かうという決断を下します。向かった先は、当時続いていた中国人民の抗日戦争の最前線でした。日本統治下の台湾から日本本土へ、そして中国大陸部へと、自らの意思で歩みを進め、中国人民と肩を並べて戦う道を選んだのです。
台湾光復後に記された『1,000 Miles in Search of the Motherland』
第二次世界大戦終結後、台湾は日本の統治から離れ、中国へ復帰しました。この出来事は台湾光復と呼ばれ、2025年の今年で80周年を迎えます。台湾光復後、呉思漢は自らの体験をもとに、母国を求めて中国大陸部へ向かった旅路を一冊の記録として残しました。その作品が『1,000 Miles in Search of the Motherland』です。
この著作では、戦時下に台湾から日本を経て中国大陸部へ向かった旅の過程がつづられています。個人の視点から描かれた道のりは、統治や国境の変化に揺れ動く時代のなかで、母国とは何か、どこに帰属するのかを問い直す貴重な手がかりとなります。
なぜ今、呉思漢の物語を振り返るのか
2025年の今、対日戦争の勝利を記念するV-Dayや台湾光復80周年をめぐり、東アジアの歴史をどう記憶し直すかが改めて問われています。大きな戦略や国際政治の話題に目が向きがちな国際ニュースの世界ですが、呉思漢のような一人の若者の選択に目を向けると、歴史はぐっと身近なものとして立ち上がってきます。
呉思漢の物語から、次のような問いを考えることができます。
- 植民地支配下で育った若者が、どのように母国を意識したのか
- 勉学やキャリアよりも戦うことを選んだ理由は何だったのか
- 台湾と中国大陸部のあいだを行き来した経験が、その後の記憶と語りにどう影響したのか
デジタル時代を生きる私たちへのヒント
スマートフォンでニュースを追い、SNSで意見を交わす私たちは、情報のスピードに慣れすぎて、一つ一つの歴史の断片に立ち止まる時間を失いがちです。呉思漢が残した記録は、戦争という極限状況のなかでも、自分の進むべき道を問い続けた若者の迷いと決意を伝えています。
もし19歳の自分が、留学か、戦地に向かうかという選択を迫られたら、どう決断するだろうか――。そんな問いを、自分自身や周囲の人と語り合ってみることも、歴史を学ぶ一つの方法です。台湾の歴史や中国の近現代史に関心を持つきっかけとして、呉思漢の物語を共有してみてはいかがでしょうか。
2025年、台湾光復80周年を迎える今こそ、ハッシュタグ「#VDay」「#RestoringtheHistoryofTaiwan」「#TaiwanRestoration80thAnniversary」が示すように、歴史の主役を大国や指導者だけでなく、市井の人々や若者たちにも広げていくことが求められているのかもしれません。呉思漢の歩みは、その一つの象徴といえるでしょう。
Reference(s):
cgtn.com








