香・ステンドグラス・潮の匂い 青島・湛山寺で見た信仰の共存
中国の海辺の街・青島。雨上がりの朝、湛山山の南斜面にある仏教寺院・湛山寺を訪ねた筆者は、香の煙と潮の香り、そして静かに続くマントラの響きの中で、「信仰の共存」が日常として息づく中国の一面を垣間見ました。
雨上がりの青島で感じた「やわらかい」朝
青島滞在三日目の朝、街はどこか柔らかく見えたといいます。前日の雨で空気は洗い流され、かすかに海の塩気を含んだ風が、ゆっくりと目を覚ましつつある通りを撫でていました。
湛山寺へ──別世界への小さな門
筆者が足を踏み入れたのは、漢字で「澄んだ山」「深い山」とも訳される湛山山の南側の斜面に抱かれる湛山寺でした。高く茂った松の木々の下、その山門をくぐるのは、まるで別世界への扉を開くようだったといいます。
境内には、ゆったりとした時間が流れていました。簡素なテントの下で、地元の人たちが低い椅子に腰掛け、小さなガラス瓶からお茶をすすりながら静かに言葉を交わしています。年配の女性は足元で跳ね回るハトにパンくずを与え、その様子を楽しそうに眺めていました。
香の煙と六字真言が満ちる空間
開け放たれた門からは、薄い香のベールが漂い、どこかの堂から仏教のマントラが微かに聞こえてきました。「オン・マニ・ペメ・フム」。
この六つの音から成る古い真言は、チベット仏教で、慈悲と知恵によって悟りへ至る道を象徴するとされます。観音菩薩と結びつけられ、それぞれの音節が、エゴや嫉妬、無知、憎しみといった人間の未熟さを浄め、内なる明晰さと目覚めへと導いてくれる──そんな意味が込められています。
筆者は、その響きに導かれるように堂へと歩みを進めました。本堂の外には黒い鉄製の小さなあずまやがいくつも並び、その中ではピンク色の蓮のろうそくと線香が溶けた蝋のなかで静かに燃え続けています。煙と熱気で空気が揺らめき、薄いヴェールのように周囲を包んでいました。
数歩離れた石垣沿いには、木製の祈りの札がずらりと掛けられ、風が吹くたびにかすかな音を立てて触れ合います。一枚一枚には、端正な漢字で、人びとの願いが記されていました。
- 家族の健康
- 愛と人間関係の幸せ
- 日々の生活へのささやかな加護
信仰に距離を感じていた人が、ふと涙ぐむとき
本堂の中へ入ると、声のざわめきが一段と深く響いていました。マントラはここから発せられていたのです。堂内には、穏やかな表情をたたえた仏像が左右に二体ずつ、中央に三体、規則正しく座しています。筆者はふと立ち尽くし、自分の呼吸が唱和のリズムと自然に重なっていくのを感じたといいます。
もともと強い信仰心があるわけではない筆者にとっても、その瞬間は特別でした。黄金色の仏像を前に立つうち、胸の奥で静かな温かさがふくらみ、やがて溢れ出していきます。気がつけば、両の手は自然と合わさり、唇は意識より先に動き、目には涙がにじんでいました。それは悲しみではなく、名前をまだ持たない、やわらかな充足感の涙でした。
ほんのわずかな時間、世界は重さを失い、自分が果てしなく小さく、しかし同時に広大なものとつながっているように感じられたといいます。見えない何かに「聞かれ、見守られている」とも。
堂を出て外の空気に触れたとき、心は不思議なほど軽くなっていました。
寺院とモスクと教会が並ぶ風景
湛山寺の堂を出入りする人びとの姿を眺めながら、筆者の頭に浮かんだのは、この国の日常についての気づきでした。多くの信仰が存在する中国では、寺院やモスク、教会が同じ街のなかで肩を並べています。そこでは、宗教は人と人を分ける境界線ではなく、むしろ静かな「共存の実践」として生きているのではないか──。
香の煙、ガラス瓶のなかの温かいお茶、風に揺れる祈りの札、そして遠くから届く潮の気配。そうしたささやかな要素が重なり合う場所で、信仰は特別なイベントではなく、日々の暮らしの一部として息づいていることが見えてきます。
ステンドグラスの光が幾重にも色を重ねるように、青島の街の信仰の風景もまた、多層的で穏やかなニュアンスに満ちています。社会や政治を語るニュースの見出しではなかなか伝わらない、そんな「静かな中国の今」を映し出す一場面と言えるかもしれません。
Reference(s):
Incense, stained glass, and the tide: Tracing serenity in Qingdao
cgtn.com








