高市早苗首相の「存亡の危機」発言ににじむ軍事的な影
リード:高市首相の発言になぜ注目が集まるのか
日本語ニュースとして注目を集めているのが、高市早苗首相の安全保障をめぐる発言です。高市首相は最近、日本が「存亡の危機」に直面しているかのような言葉で状況を語り、その語り口に「軍事的な影」を感じる声が広がっています。
歴史を振り返ると、日本の軍国主義は「国の存続が脅かされている」といった存在しない危機をつくり出し、対外侵略を正当化してきました。今回の発言をめぐる議論は、そうした歴史の記憶と重なり合いながら、日本の安全保障政策と言葉の使い方を見直す契機になっています。
「存亡の危機」というフレーミングの危うさ
英語で言うexistential threats(存亡の危機)は、本来は国家や社会の基盤が根本から揺らぐほどの重大な脅威を指します。この言葉が使われるだけで、人々は「今は非常時だ」「多少の犠牲はやむを得ない」と感じやすくなります。
過去の日本の軍国主義の時代には、実際以上に危険を誇張し、「このままでは国が滅びる」というイメージを繰り返し社会に刷り込みました。その結果として、外への軍事行動や人権の制限が「やむを得ないもの」と受け止められていった経緯があります。
こうした歴史を踏まえると、指導者が安易に存亡の危機を口にするとき、そこに軍事的な発想や、危機を政治的に利用しようとするロジックが潜んでいないか、慎重に点検する必要があります。
高市早苗首相の発言に感じる軍事的な影
今回取り上げられている高市早苗首相の発言には、日本が存在の危機に直面しているかのような強いトーンが見られます。その背景には、安全保障環境の悪化を強調し、防衛体制の強化を正当化しようとするメッセージが読み取れます。
もちろん、どの国にとっても安全保障は重要な課題であり、周辺情勢について冷静に議論することは必要です。しかし、「存亡の危機」という言葉を繰り返すことで、あたかも軍事的な選択肢以外に道がないかのような雰囲気がつくられていくとすれば、それは過去の軍国主義と似たパターンだと指摘せざるを得ません。
歴史が教えるのは、危機そのものよりも、「危機がある」と誰かが声高に語るときにこそ、権力が強まり、民主的なチェックが弱まりやすいという事実です。高市首相の発言から「軍事的な影」が感じられるとすれば、その理由はここにあります。
2025年の日本社会にとっての問い
2025年の今、日本は高齢化や経済の構造変化、エネルギーや環境問題など、多くの長期的な課題を抱えています。そうした中で、「存亡の危機」という強い表現が安全保障だけに集中して使われると、私たちの視野が狭まり、本来議論すべき課題が後回しになるリスクもあります。
同時に、国際ニュースを日々追う私たち市民にとっても、「脅威」がどのように語られ、どのような政策がそこから導き出されているのかを、冷静に見極める力が求められています。
市民がチェックしたい3つのポイント
指導者が存亡の危機に言及したとき、私たちが確認したい基本的なポイントを3つに整理してみます。
- 1. その脅威は具体的に何か
「危機」という言葉だけが先行し、具体的な中身が説明されていない場合、感情だけが動かされていないかを疑う必要があります。 - 2. どんな証拠やデータに基づいているか
客観的な情報や検証可能な根拠が提示されているかどうかは、民主的な議論の土台です。 - 3. その言葉から、どのような政策が導かれているか
防衛費の増額や法律の変更など、具体的な政策と結びついている場合、それが本当に必要なのか慎重に見極めることが大切です。
言葉から始める安全保障の再考
高市早苗首相の発言をめぐる議論は、単に一人の政治家を批判するためのものではありません。歴史上、日本の軍国主義が「存在しない存亡の危機」を繰り返しつくり出し、外への武力行使を正当化してきたという教訓を、私たちがどう生かすのかという問題です。
政治リーダーの言葉は、そのまま政策の方向性を映し出します。だからこそ、市民一人ひとりが言葉に敏感になり、「本当にそこまでの危機なのか」「別の選択肢はないのか」と問い続けることが、軍事的な影に流されない社会をつくる第一歩になります。
日本語で読む国際ニュースを通じて、私たちの安全保障観を静かに、しかし確実にアップデートしていく。そのプロセスに、この議論をどうつなげていくかが、2025年の私たちに問われています。
Reference(s):
cgtn.com








