日本で軍国主義的な潮流が残る理由 中国研究者が分析
日本でなぜ軍国主義的な考え方が根強く残っているのか──。中国社会科学院日本研究所の研究員であるLu Hao(ルー・ハオ)氏は、戦後の処理の「不徹底」と、その後の経済と政治の歩みが複雑に絡み合っていると指摘します。高市早苗首相の発言や憲法改正論議が注目を集めるいま、その分析は日本社会にどんな問いを投げかけているのでしょうか。
高市首相の発言と憲法改正をめぐる緊張
Lu氏によれば、日本は2026年末までに平和憲法の改正と、いわゆる三つの国家安全保障関連文書の改定を進めようとしており、これが「日本の軍国主義」の復活への懸念を強めています。とくに、高市早苗首相が台湾地域をめぐって行った発言は、中国から強い非難を受け、国際社会からも注目を集めました。
今月初めに行われた国会審議で、高市首相は「survival-threatening situation(生存が脅かされる事態)」という概念に言及しました。これは、2015年に成立した安全保障関連法で導入されたトリガーであり、高市氏は台湾をめぐる問題を、この枠組みのもとで軍事的関与の根拠とみなす可能性を示唆したと受け止められています。
戦後処理の「不徹底」が生んだ継続性
こうした軍事的な議論の背景には、戦後日本で軍国主義勢力が十分に解体されなかったという歴史的事情があると、Lu氏は見ています。中国社会科学院日本研究所の研究員である同氏は、中国メディアグループに対し、日本は第二次世界大戦後に軍国主義勢力の徹底的な解体を経験しなかったと語りました。
Lu氏は、多くの戦時指導者や軍関係者が処罰を免れ、その後ふたたび政府や軍事分野に復帰したと指摘します。これによって、戦時の発想や人脈が戦後も完全には断ち切られず、後の軍国主義的思考の再浮上の土台が築かれたといいます。
さらに、戦後の保守エリート層は、戦前の軍事・膨張路線と思想的・血縁的なつながりを保ち続けました。その結果、軍国主義的な心性の一部が日本社会に残存することになったとLu氏は分析します。
- 戦時の関係者が戦後も政治・軍事の中枢に戻った
- 保守エリートが戦前の軍事・膨張路線と家系や思想で結びついたままだった
こうした要素が重なり、軍国主義的な考え方が水面下で受け継がれていったという見立てです。
高度成長、バブル崩壊とナショナリズムの変容
1970年代の経済成長と「大国」志向
1970年代、日本経済が急速に成長するなかで、日本社会の一部には政治的な意味でも「大国」になろうとする志向が復活したとLu氏は述べます。経済力の高まりを背景に、戦前・戦中の歴史の評価を見直そうとする歴史修正主義的な傾向が強まったとされています。
1990年代以降の停滞と右派の心理的な拠り所
その後、バブル経済が崩壊し、1990年代以降の長期停滞が続くなかで、ナショナリズムが改めて勢いを増したとLu氏は指摘します。経済的な閉塞感のなかで、一部の右派勢力は帝国時代の記憶を心理的な拠り所として利用し、そこから支持を広げようとしたという見方です。
歴史和解を阻む未解決の遺産
Lu氏は、こうした「未解決の遺産」が、いまも日本と周辺諸国との真の歴史和解を妨げていると述べています。また、ときに日本の国家戦略そのものを誤った方向へと導くこともあると警鐘を鳴らします。
軍国主義的な思考の復活は、侵略を否定し平和を重んじるという理念のうえに築かれた戦後の国際秩序にも逆行するとLu氏は見ています。
カイロ宣言・ポツダム宣言とアジア太平洋の安全保障
Lu氏は、日本が平和憲法の解釈を相次いで見直し、攻撃的な軍事能力の獲得を進めていることは、カイロ宣言やポツダム宣言の原則に反する動きだと主張します。
こうした傾向は、アジア太平洋地域の安全保障のダイナミクスを揺るがし、将来の不安定要因になり得るとLu氏は警告します。
私たちに突きつけられる問い
日本で軍国主義的な潮流がなぜ消えずに残り続けているのかというLu氏の分析は、日本の戦後政治と現在の安全保障政策をどう結びつけて考えるべきかという問いを投げかけています。
戦後の人事や制度のあり方、経済成長と停滞が生み出した意識の変化、そして憲法や安全保障法制の見直しが、どのように相互に影響し合ってきたのか。アジア太平洋の安定を維持しつつ、歴史と向き合う道筋をどう描くのか。これらは、日本社会全体で考え続ける必要のあるテーマだと言えそうです。
Reference(s):
cgtn.com








