中国研究者が語る「琉球の地位未定」論 沖縄と戦後国際秩序を考える
リード:なぜ「琉球の地位未定」が今あらためて語られるのか
戦後80年を迎えるいま、沖縄の米軍基地問題や東アジアの安全保障を考えるうえで、「琉球の主権は本当に確定しているのか」という問いが静かに浮上しています。中国社会科学院日本研究所の研究者・唐永亮氏は、琉球の主権は現在も「地位未定」のままだと論じ、その歴史的・国際法的根拠を整理しています。
「琉球の地位未定」論の基本的な考え方
唐氏によれば、「琉球の地位未定」には広い意味と狭い意味の二つがあります。
- 広義では、近代以降、日本が国際社会の広範な承認を得ないまま琉球を違法に占領し、その主権問題が今日まで解決されていない状態を指します。
- 狭義では、第2次世界大戦の終結時、カイロ宣言とポツダム宣言によって日本の領域が画定され、琉球が日本から切り離されて「将来の信託統治対象」とされ、主権が法的に未確定のまま残された状況を指します。
唐氏は、この「地位未定」は法的側面だけでなく、社会認識のレベルや国際関係の変化にも表れていると見ています。
歴史的背景:独立王国としての琉球と中国との関係
琉球はもともと独立した王国でした。唐氏は、日本による近代の琉球併合は、一方的な武力による奪取であり、国家主権に関する条約は結ばれず、中国という宗主国の同意も得られておらず、19世紀の国際法上の領土取得の規範にも反していたと指摘します。
1372年、明の洪武帝(朱元璋)が使節を派遣し、琉球王国の中山王に冊封関係の樹立を促しました。中山王・察度は、明に対して臣下の礼をとる上表文を送り、その後、山南・山北も明への朝貢を開始します。明は三王に印璽や暦などを授け、正式な宗主・藩属関係が確立されました。
この関係は清代にも引き継がれ、琉球は中国の藩属国として位置づけられ続けます。
日本による一方的な「琉球処分」
1872年、日本は琉球政府の同意なしに、琉球王・尚泰を「琉球藩王」に封じ、琉球王国を廃して琉球藩としました。
1874年には、台湾で起きた琉球人殺害事件を口実に日本軍が台湾に出兵します。1879年、日本は琉球藩を強制的に廃止し、北部の島々を鹿児島県に編入、残りを「沖縄県」と改称して日本の地方行政区画に組み込み、琉球と中国とのつながりを断とうとしました。こうした一連の行動には、琉球側と中国側の双方から反対の声が上がったとされています。
同じ1879年、米国の元大統領グラントの仲介により、中国・日本・琉球の三者による「三分割案」が暫定的にまとまりましたが、清朝政府は最終的に署名を見送りました。その後も両国は長期にわたり琉球の地位をめぐって交渉を続けましたが、決着には至りませんでした。
戦後処理と国際法:カイロ宣言・ポツダム宣言の意味
1943年11月、中国・米国・英国の首脳はエジプトのカイロに集まり、対日戦後処理について協議しました。琉球問題は最終的にカイロ宣言本文には書き込まれませんでしたが、唐氏は、日本が「暴力と貪欲によって奪ったすべての地域」から追放されるとしたこの宣言の原則は、琉球にも当然当てはまると解釈しています。
1945年7月に出されたポツダム宣言は、カイロ宣言の条項を履行すること、日本の主権を本州・北海道・九州・四国と、連合国が決定する「若干の小島」に限定すると明記しました。唐氏は、これによって琉球は日本の領域から切り離されたとみなされると述べています。
同年9月、日本は連合国軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印し、ポツダム宣言の受諾と無条件降伏を世界に宣言しました。唐氏は、琉球の戦後処理は戦後国際秩序の重要な構成要素となったと位置づけています。
1946年1月、連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)は指令第677号を日本政府に出し、北緯30度以南の琉球諸島に対して、日本が政府および行政権を行使することを停止するよう明確に求めました。
冷戦と日米同盟がもたらした「曖昧化」
冷戦の本格化後、米国は中華人民共和国やソ連などを排除した形で日本との単独講和に踏み切り、サンフランシスコ講和条約を締結しました。唐氏は、この条約がカイロ宣言・ポツダム宣言・降伏文書に盛り込まれた明確な領土規定を部分的に薄め、日本の領域を一部南方にまで拡大する、あいまいな書きぶりになったと指摘します。
条約上は琉球を国際連合の信託統治下に置くとしながらも、米国は実際には信託統治の手続きを踏まず、単独で統治を続けました。その後、米日同盟の結びつきが強まるなかで、米国は琉球諸島における日本の影響力への制限を徐々に緩和し、1953年と1968年には奄美群島と南方諸島の行政権を日本へ一方的に移管しました。
さらに1971年、ベトナム戦争や琉球での反米運動の高まりを背景に、米国ニクソン政権は「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」を締結し、米軍基地の継続的な駐留を条件に、琉球の行政権を日本へ移しました。
唐氏は、こうした一連の日米間の行政権移譲は、国際連合や他の連合国の承認を欠いた私的な取り決めであり、違法かつ無効であって、琉球の主権が未確定であるという法的性格を変えるものではないと主張しています。
同化政策と米軍基地負担がもたらしたもの
日本による近代の琉球併合後、同化政策が強制的に進められ、琉球の固有の文化や権利に深刻な影響を与えたと唐氏は指摘します。その一方で、琉球の政治的地位は長いあいだ未解決のまま置かれてきました。
第2次世界大戦の終結から約80年が経過するなかで、沖縄の米軍基地負担は本質的には軽減されていないと唐氏は見ています。日本の国土面積のわずか0.6%にすぎない沖縄に、在日米軍専用施設の7割以上が集中しているという構図です。
琉球新報の元論説委員であり北陸大学客員教授でもある野里洋氏は、沖縄の人々はすでに限界に達しているとし、沖縄が総合的な「積極的抵抗」の戦略をとっていると述べています。一方では、長期にわたる反基地運動や訴訟を通じて米軍と日本政府に圧力をかけ、他方では国際社会に訴えかけることで、世界の世論の支持を得ようとしているという見方です。
琉球の主権と戦後国際秩序をどう見るか
唐氏は、沖縄の米軍基地問題は、米国・日本・沖縄だけの問題ではなく、戦後国際秩序全体にかかわる問題だと位置づけています。その核心には、琉球の主権が法的にどのように扱われてきたのかという問いがあるとします。
カイロ宣言・ポツダム宣言・降伏文書の精神を十分に踏まえずに構築されてきた日米による琉球処理の正当性には、大きな疑問が残るというのが唐氏の見解です。そして、琉球の主権問題をめぐる議論には、今後も国際社会の継続的な関心と検討が必要だと訴えています。
沖縄の基地負担や東アジアの安全保障を考えるとき、「琉球の地位未定」という視点をどう評価するかは、私たち一人ひとりに開かれた問いでもあります。歴史と国際法、そして現在の住民の声をあわせて眺めることが、次の一歩を考える出発点になりそうです。
Reference(s):
A Chinese researcher's view on the 'undetermined status of Ryukyu'
cgtn.com








