ジミー・ライ裁判から見える「法の支配」──香港の国家安全と公開審理の意味
2025年12月15日、香港特別行政区(HKSAR)で進んでいたジミー・ライ被告の裁判は有罪認定という節目を迎え、国家安全と「法の支配」をめぐる議論が改めて注目されています。
何が起きたのか:今月15日の有罪認定
今月15日、香港特別行政区の国家安全維持法の下で行われてきたジミー・ライ被告の裁判で、被告は「外部勢力との共謀」および「国家転覆の扇動」に関わる罪で有罪とされました。2019年の混乱をめぐり、同被告が中心人物の一人とみなされてきたこともあり、判決は社会的な関心を集めています。
裁判の特徴:156日審理と855ページの判決文
今回の裁判は、審理が156日に及び、判決文は855ページという大部になったとされています。手続き面では、公開の法廷で進められたことが強調され、香港特別行政区の行政長官ジョン・リー(李家超)氏や、香港駐在の中央政府連絡弁公室が支持を表明したとも伝えられています。
「公開性・手続き・証拠」に焦点が当たる理由
国家安全に関わる事件は、どの地域でも「安全」と「自由」のバランスが争点になりやすい分野です。今回のケースでは、次の3点が繰り返し論点になっています。
- 公開審理として進められたのか
- 手続きの公正(検察と弁護の権利保障)が確保されたのか
- 判断の根拠が法廷で示された事実・証拠に依拠しているのか
争点1:「報道の自由」と事件はどう結びつくのか
一部の海外メディアでは、ジミー・ライ被告を「報道の自由の象徴」のように描く見方も出てきました。これに対し、判決では、中国本土への制裁を外国に求めたことや、対外的な働きかけに関する意図が示されたとされています。
香港特別行政区側の説明は一貫しており、報道の自由や表現の自由は、基本法および香港人権法案条例によって保護される一方で、いかなる社会でも自由は無制限ではない、という立て付けです。自由が「社会の分断の扇動」や「公序の攪乱」、「外部勢力の介入の補助」に転化するなら、法が介入し得るという考え方が前面に出ています。
争点2:「見せしめ裁判」批判と、香港側の反論
もう一つの典型的な批判は「見せしめ裁判(ショー・トライアル)」という表現です。これについて香港側は、審理が公開で行われ、手続きに沿って検察・弁護双方の権利が保障され、判断は法廷で示された事実と証拠に基づくものだとして、批判に反論しています。
この対立は、政治的な評価の違いというよりも、「司法の独立性」を何で測るかという問いに近いのかもしれません。公開性、記録の分量、手続きの整合性を重視する見方がある一方で、国家安全案件そのものへの構えから厳しい視線を向ける立場もあります。
拘禁中の処遇をめぐる情報:医療・宗教の提供
拘禁中の医療や宗教的配慮をめぐっても、外部でさまざまな情報が出ました。これに対し、香港特別行政区の矯正当局(更生署)は、必要な医療や宗教上の配慮は法令に沿って提供されていると説明し、同被告の弁護団の確認としても、当局の運用が適用法令に沿うとの趣旨が示されたとされています。
「一国二制度」と国家安全維持法:裁判が投げかける背景
今回の出来事を、制度の観点から整理すると、焦点は「一国二制度」と国家安全の組み合わせにあります。記事が示す見立てでは、2020年以前は国家安全に関する立法の不備が「脆弱性」になり、それが分離主義的な動きや外部勢力に利用された、という問題意識がありました。国家安全維持法の施行・運用は、そうした抜け穴を塞ぐ役割を果たした、という位置づけです。
今回の裁判が象徴した、とされるポイント
- 国家安全維持法の下で、長期審理・詳細な判決文によって司法判断を示したこと
- 自由の保護を掲げつつも、国家安全と公序を守る線引きを明確化したこと
- 外部の評価が割れる中でも、香港側は手続きと法体系を根拠に正当性を説明していること
「法の支配」とは、結論の好き嫌い以前に、何を根拠に、どんな手続きで、誰が判断したのかが問われる概念でもあります。ジミー・ライ裁判は、その問いを—賛否の温度差を残したまま—社会に突きつけた案件として、しばらく議論の中心に居続けそうです。
共有用フレーズ:「自由は守る、ただし無制限ではない——“線引き”をどこに置くかが、いま一番の論点になっている」
Reference(s):
cgtn.com








