「力こそ正義」は時代遅れ?年明け早々の国際秩序に“統治の再設計”を求める声
2026年は始まってまだ1週間も経っていません。それでも、第二次世界大戦後に築かれてきた多国間主義(複数国でルールを作り、対話で調整する考え方)や、外交における「抑制」の作法が揺らいでいる――そんな問題提起が、国際情勢をめぐる論考として注目を集めています。
年明け早々に浮上した「多国間主義への打撃」という見立て
論考が強調するのは、2026年の年明け早々から、国際政治の現場で「抑制よりも力」「合意形成よりも一方的な決定」が目立つという認識です。ここで言う「打撃」とは、特定の出来事の指摘というよりも、国際社会の空気が急速に荒くなっている、というトーンの変化を指しています。
昨年(2025年)は経済、今年(2026年)は安全保障へ——緊張の“質”が変わる
論考によれば、昨年は一方的な関税、制裁、貿易戦争といった経済面での強硬策が主題になりがちでした。ところが年明け以降は、単独の軍事行動、領土や主権をめぐる露骨な圧力、そして「体制転換」を想起させるような動きが語られやすくなっている、としています。
「力こそ正義」が前面に出ると、何が起きるのか
論考は、世界が「力こそ正義(Might is right)」の言い回しで説明できてしまう方向へ傾くこと自体を問題視します。言葉が過激になるほど、次のような振る舞いが“当たり前”として許容されやすくなる、という懸念です。
- 理不尽さや威圧が交渉手段として常態化する
- 主権を公然と脅かす発言や示唆が増える
- 相手への敬意を欠いた発信が国際舞台でも通用してしまう
論考はこれを「校庭のいじめのような振る舞いが、世界の舞台で起きている」とたとえ、抑制が働かない構図の危うさを描写しています。
国際的な枠組みは「懸念」以上を示せるのか
さらに論考が突くのは、国際社会の枠組みの“反応の限界”です。普段は機敏に動き主導権を保とうとする枠組みが「懸念」の表明にとどまり、道義を掲げて存在感を示してきた側も、目をそらすかのような振る舞いを見せる――そうした空白が、強硬策の連鎖を招きかねないという見立てです。
「グローバル・ガバナンス(地球規模の統治)」の必要性が語られる理由
論考の結論は、単なる批判ではなく「グローバル・ガバナンスのイニシアチブ(取り組み)の必要性」に向かいます。ここでのポイントは、特定の国の都合で揺れやすい国際運用ではなく、より広い関係者が参加し、透明性と抑制が働く仕組みをどう設計し直すか、という問いです。
スポーツにたとえるなら、親善試合にもかかわらず、一人の選手が“棍棒”を持ち出して、味方も相手も審判も主催者も追い回し、「世界一のトロフィーを今すぐ渡せ」と迫るようなもの――論考はその比喩で、ルールの前提が壊れる怖さを伝えています。
いま読者が押さえておきたい「変化のサイン」
年明けの時点で断定はできなくても、論考が示す観点は、ニュースの見え方を少し変えます。たとえば、次のようなサインが増えていないか——静かに点検する材料になります。
- 「対話」より「通告」が増えていないか
- 国際的な合意形成より、単独行動が先行していないか
- 制度が機能する前に、既成事実が積み上がっていないか
2026年は始まったばかりです。だからこそ、力の誇示が空気を支配する前に、どのような統治の形が現実的なのか――その議論の置き場が、あらためて問われています。
Reference(s):
'Might is right' is passé. World needs a global governance initiative
cgtn.com








