AIは『道徳経』から何を学べるのか――効率の先に「知恵」はある? video poster
AIは翻訳比較やテキスト分析を一気に加速させました。では、その先にある「知恵」まで近づけるのでしょうか。CGTNのインタビューで、中国本土・南開大学(南開大学グローバル老子学研究センター)のシノロジスト、ミーシャ・タッド氏が、学術研究でのAI活用の可能性と限界を語りました。
AIが変えた「道徳経」研究:比較と分析が高速化
タッド氏によれば、AIは研究の現場で、作業の効率を大きく押し上げています。例として挙げられたのが、道教の基礎的文献として知られる『道徳経(Tao Te Ching)』の「複数翻訳の比較」です。
人手で行うと時間がかかる照合や抽出も、AIを使えば大規模に、しかも短時間で進めやすくなります。大量のテキストを対象にした分析が、これまでより現実的になった、という見取り図です。
研究現場で起きていること(タッド氏の指摘を要約)
- 異なる翻訳を横断的に比べる作業がやりやすくなる
- 大規模なテキスト分析を、前例のないスピードで進められる
- 研究の「手数」を増やし、検討の幅を広げられる
それでも残る限界:「言葉にならない経験」には届かない
一方でタッド氏は、AIの限界もはっきり指摘します。AIは言語とデータを基盤にしているため、生きられた経験や、非言語的な体験といった、『道徳経』の核心にある領域にはアクセスできない、という見方です。
『道徳経』が想起させる一節として、タッド氏は次の言葉を引きます。
"The Tao that can be told is not the eternal Tao."
言葉として「説明できるもの」と、言葉を超えたところにあるもの。その距離を意識すること自体が、『道徳経』の読み方の一部だとするなら、言語処理を主戦場にするAIは、どうしても“手前”で立ち止まりやすいのかもしれません。
効率から知恵へ? 2026年の問いとして残るもの
2026年1月現在、AIは研究の効率化を強力に後押しする一方で、「理解」や「知恵」をどこまで扱えるのかは、なお議論の余地があります。タッド氏の話は、AIを否定するというより、役割分担を冷静に見極めようとするものに聞こえます。
読む側に残る問いは、たとえば次のような形です。
- AIの高速比較で見えてくる“差分”を、研究者はどう解釈し直すのか
- 言葉にならない領域を前提とする思想を、言語モデルはどこまで扱えるのか
- 効率化で浮いた時間を、研究は「体験」や「実践」に振り向けられるのか
AIが得意なことは増え続けます。それでも、『道徳経』が促すのは、速さとは別の次元にある「沈黙」や「手触り」なのだ――タッド氏の指摘は、そんな余白を思い出させます。
Reference(s):
cgtn.com








