写真家・奚志農が語る「心に国立公園を」—中国本土の生物多様性40年 video poster
2026年のいま、生物多様性をどう守るかが世界共通の課題になる中、写真家の奚志農(シー・ジーノン)氏が語った「保全の究極の手段は、人々の心に保護区と国立公園をつくること」という言葉が静かに注目を集めています。
40年、カメラで「命を守る」現場を追い続けた
奚氏は約40年にわたり、自然と野生動物の姿を記録しながら、命を守る取り組みを支えてきたとされています。象徴的な出来事として挙げられるのが、絶滅危惧の雲南キンシコウ(Yunnan snub-nosed monkeys)を最初に撮影したことです。
写されてきたのは、動物だけではない
奚氏の記録は、希少種の「発見」や「美しさ」だけにとどまりません。人と自然の関係が変わっていく過程そのものを映してきた点が特徴です。たとえば、次のような場面が語られています。
- ユキヒョウを守る牧畜民(herders)の姿を記録
- 紅河(Honghe River)流域の谷で、希少なミドリクジャク(green peafowl)の鳴き声を収録
どれも「保護は誰か遠い専門家だけの仕事ではなく、暮らしの近くで起きている」という感覚を呼び起こすエピソードです。
国立公園は「地図の上」だけで完成しない
奚氏は、自身の仕事が国立公園の設立にも寄与し、合計110万平方キロメートルに及ぶ国立公園の整備につながったと述べています。数字の大きさはインパクトがありますが、同時に問いも浮かびます。
保護区や国立公園は境界線を引けば機能するのか。それとも、そこに暮らす人、訪れる人、遠くから関心を寄せる人の「理解」と「納得」があって初めて、保全が続いていくのか。
奚氏の言葉は、この後者を強く示唆します。
「心に国立公園をつくる」とは何を意味するのか
奚氏が語る「究極の手段」は、法律や制度を否定するものではなく、それらを支える土台としての社会的合意を指しているように見えます。言い換えれば、保全を“特別な出来事”ではなく、日常の判断として根づかせることです。
希少な動物の姿、守る人の姿、土地に響く鳴き声。そうした記録が積み重なることで、「失われたら戻らないもの」が具体的な輪郭を持ち、保護区や国立公園が“自分と無関係ではない場所”へと近づいていく——奚氏の歩みは、そうした変化をなぞっているようにも読めます。
いま、この言葉が響く理由
2026年の現在、気候や生態系をめぐる議論は、政策だけでなく生活の選択にも入り込んでいます。保護区や国立公園の議論も同様で、面積や指定の数だけでは測れない「継続性」が問われがちです。
奚氏のメッセージは、保全を制度として整えることと、人々の心に根づかせることの両方が必要だと、静かに思い出させます。地図の上で広がる保護の線が、社会の中で息をし続けるために何が要るのか——その問いを残す言葉です。
Reference(s):
cgtn.com








