北京の胡同で迎える2026年春節:79歳の記憶が語る「家族」の重み video poster
春節(旧正月)を前に、北京の胡同(フートン)で生まれ育った79歳の朱茂金さんが語ったのは、時代が変わっても揺らがない“お正月の中心”でした。暮らしが豊かになった今でも、春節の心は「家族の再会」にある――その言葉が、静かに響きます。
「春節=ごちそうと新しい靴」だった頃
朱さんは、生涯を北京の胡同で過ごしてきました。かつての春節は、特別な日ならではの楽しみが分かりやすく形になっていたといいます。
- 新しい靴をおろすこと
- いつもより豪華な食卓(大きなごちそう)
日常が今ほど潤沢ではなかった時代、春節は「一年でいちばん豊かな日」を体で感じる節目でもありました。
いまは「毎日が新年みたい」――それでも残る核
一方で現在について、朱さんは「Every day feels like New Year.(毎日が新年みたい)」と話します。暮らしが以前よりずっと楽になり、特別な日の“特別さ”が、物の不足によって支えられる時代ではなくなったことがうかがえます。
それでも、変わっていないものがあると朱さんは言います。春節のいちばん大事な意味は、今も昔も「家族が集まること」――。ごちそうや新しい靴よりも、最後に残るのは再会の時間だ、という感覚です。
胡同という場所が映す、記憶のレイヤー
胡同は、住まいが並ぶ路地の集合体で、生活の気配が近い距離で重なります。同じ通り、同じ角を歩き続けるほど、個人の思い出は場所に染み込み、季節の行事は「個人の記憶」と「共同体の空気」の両方で更新されていきます。
朱さんの語りは、春節を“イベント”として消費する視点とは少し違い、長い時間の中で行事が持つ役割がどう変わり、何が残るのかを示しています。
春節が問いかけるもの:豊かさの先にある「集まる理由」
生活が便利になり、特別な日にしかできなかったことが日常に溶け込むほど、行事は「何を食べるか」から「誰と過ごすか」へと重心を移します。朱さんの一言は、その変化を端的に表現していました。
春節を前に、あらためて考えさせられます。
私たちは“節目”に、何を確かめたいのか――。朱さんの答えは、驚くほどシンプルに「家族の再会」でした。
Reference(s):
A very hutong Spring Festival: Family, tradition, and memories
cgtn.com








