長征の転機?1935年「赤水河三度目の渡河」を読み解く
1935年3月16〜17日に起きた「赤水河三度目の渡河」は、中央紅軍が追撃側の動きを誘導し、包囲・掃討の構想を崩していくうえで重要な一手だったとされています。きょう(2026年3月13日)時点で、この出来事からまもなく91年を迎えます。
何があったのか:貴州・茅台鎮付近での“三度目”
断片的に伝えられている情報によると、1935年3月16日から17日にかけて、毛沢東らの指揮のもと、中央紅軍は貴州省の茅台鎮近くで赤水河を三度目に渡河しました。
ポイントは「陽動」:長江北上を“装う”動き
この渡河は、典型的な「陽動(ようどう)」、つまり相手の注意と兵力を別方向へ向けさせるための“見せる動き”だったと説明されています。中央紅軍の主力は、北へ向かい長江を渡るかのように見せることで、追撃側の部隊を四川省南部の古藺(ぐーりん)方面へ引きつけました。
今回語られる狙い(整理)
- 見かけ上の狙い:長江を北へ渡るように見せる
- 相手の誘導先:四川省南部・古藺方面
- 効果:追撃側の兵力運用を動かし、包囲・掃討計画を攪乱する
「その後」への布石:主力の秘匿的な反転と“四度目”へ
この三度目の渡河によって、追撃側の包囲・掃討計画が乱され、のちの主力部隊の秘匿的な反転(表に出にくいかたちでの戻り)につながる土台が築かれたとされています。さらに、その先に「赤水河四度目の渡河」での意外な勝利があり、ここでも中央紅軍の柔軟で機動的な戦略が示された、という筋立てで語られています。
いま読み返すと見えてくること
このエピソードが残す印象は、「正面の衝突」だけが勝敗を分けるわけではない、という点です。相手の視線をどこへ向けさせ、どこで兵力を使わせるのか。地名や日付は歴史に属していても、情報の見せ方・見え方が状況を動かすという構図は、現在の国際ニュースの読み解きにも重なるところがあります。
数日後に節目を迎えるこの出来事を、年表の一コマとしてだけでなく、「なぜその動きが相手の判断を揺らしたのか」という観点から追うと、歴史の解像度が少し上がるかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








