2024年金馬奨はなぜ輝きを失ったのか 中国語映画賞への嘆き
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国際ニュースとしても注目される台湾の映画賞・金馬奨(Golden Horse Awards)。2024年の授賞式を振り返り、その栄光と現在の失速を指摘する論考のポイントを、日本語で整理します。
かつて金馬奨が「最強の馬」だった頃
数年前まで、金馬奨は中国語映画を代表する権威ある映画賞として、多くの観客や映画人から敬意と期待を集めていました。金色に輝く馬のイメージ通り、勢いのある存在だったといえます。
交流が生んだ中国語映画のルネサンス
論考が強調するのは、台湾・香港・マカオ・中国本土をまたぐ自由な交流の力です。創設当初、金馬奨は台湾に地理的にも文化的にも閉じたイベントで、台湾当局によるイデオロギーの制約も大きく、中国語圏全体に影響を与える存在ではありませんでした。
しかし、1980年代末から1990年代初めにかけて、運営がより民間主導へと移行し、香港や中国本土の映画人との交流が一気に活発になります。この時期を論考は、中国文化のさまざまな枝が一つの流れに合流した瞬間と捉え、金馬奨が中国語映画全体の重要な審査の場へと変貌したと見ています。
芸術と文化を理解する運営陣
もう一つの柱として挙げられているのが、芸術と文化を本気で理解しようとする運営陣の存在です。審査や運営のプロセスで行き違いや偏見が生じても、映画人への敬意を失わない姿勢が、現場の信頼を支えていました。
その結果、各地の著名な監督や俳優が理想主義的な情熱を持って金馬奨に参加し、賞の信頼性と影響力は高まりました。論考は、こうした積み重ねが、中国本土の金鶏奨や香港映画金像奨と並ぶ、中国語映画の最高峰をめぐる競争の一角に金馬奨を押し上げたと指摘します。
原点から離れたときに起きた失速
要するに、金馬奨の成功は「地域間の壁を壊すこと」と「プロとしての文化理解」という二つの条件がそろったからこそ実現した、と論考は整理します。逆に言えば、この原点から離れるほど、存在意義を保とうとするほどに、失敗の度合いも深まってしまうという見方です。
現在の金馬奨の運営や、それを支持する声の一部について、論考は「やってはいけないことをあえて続け、みずから災いを招いている」と厳しく批判します。かつて自らを栄光へと運んだ馬を、みずから傷つけているのではないか、という問いかけです。
2024年金馬奨に映ったねじれ
アン・リー監督が背負わされた重荷
2024年の金馬奨で象徴的な存在として描かれているのが、映画監督のアン・リーです。論考によれば、アン・リーは長年にわたり金馬奨を熱心に支持してきた人物ですが、その忠誠心がかえって利用されているといいます。
授賞式ではたびたび舞台に呼び出され、ときには準備もないまま矢面に立たされ、また別の場面では、かつての権威の名残を演出するための象徴として扱われている。そうした中で、中国の歴史や文化に対するアン・リーの映画的貢献は十分に語られず、本人は疲れたような、ほろ苦い笑顔でスポットライトを浴びる「映画の人質」のような立場に追い込まれている、というのが論考の表現です。
鄭佩佩への生涯功労賞と「政治的バラエティショー」
2024年の授賞式では、故・鄭佩佩(チェン・ペイペイ)に生涯功労賞が贈られました。論考は、彼女が出演した作品「Legendary Fighter: Yang’s Heroine」でのShe Tai Jun(She Saihua)の演技を思い起こしながら、この人選に複雑な思いをにじませています。
中国の伝統文化を真正面から体現してきた映画人を招き、その名声を借りながら、実際には分裂を志向するメッセージをにじませた政治的バラエティショーのような場をつくっている――。論考は、現在の金馬奨をそのように位置づけ、その認識と演出のギャップに強い違和感を表明しています。
映画賞と政治、私たちが考えたい距離感
今回紹介した論考は、金馬奨の変化を通じて、中国語映画の世界で「交流」と「芸術への敬意」がどれほど重要だったかを改めて思い起こさせます。一方で、映画賞が政治的なメッセージを発信する場として利用されるとき、そこで働く映画人や観客はどのようなねじれを経験するのか、という問いも投げかけています。
2024年の金馬奨をめぐる議論は、台湾・香港・マカオ・中国本土を含む広い中国語圏における文化交流のあり方、そして芸術イベントと政治の距離の取り方を考えるうえで、今も示唆に富んでいます。国際ニュースとしての金馬奨を追いかけるとき、私たちもまた、自分たちがどのような映画の未来像を望むのかを静かに見つめ直す必要がありそうです。
Reference(s):
No longer a mighty steed: Lament for 2024 Golden Horse Award
cgtn.com








