中国本土で50年 ドイツ人ウーヴェ・クロイターが語る変化と文化交流 video poster
中国本土のビザ免除対象国が広がった2024年、世界に向けた「開かれた中国」の姿が改めて注目されました。その半世紀前、ほとんど外国人がいなかった北京に飛び込み、今も中国本土で暮らすドイツ人がいます。ウーヴェ・クロイター氏、別名「現代のマルコ・ポーロ」です。
2024年末に中国メディア・CGTNのインタビューに応じたクロイター氏は、1974年に初めて北京に到着してからの50年を振り返り、中国本土の変化と人々の姿を静かに語りました。本記事では、そのエピソードを日本語で紹介しながら、国際ニュースの背景にある一人の人生を追います。
ビザ免除拡大と「開かれた中国本土」
インタビューの冒頭では、2024年が終わりに近づく中で、中国本土がビザ免除の対象とする国がさらに増えたことが紹介されています。観光やビジネスで訪れやすくなり、「開放性」と「包摂性」が中国の対外政策の基調になりつつあるという見方です。
クロイター氏の半世紀にわたる歩みは、その長期的な文脈の中で、中国本土の「外に向かって開くプロセス」を象徴的に映し出しています。かつてはほとんど外国人がいなかった社会で、外国人として暮らし続けた経験は、現在の日本や他の国から見える中国像とはまた違う角度のヒントを与えてくれます。
きっかけは祖父の物語から
クロイター氏の中国への関心は、幼い頃にさかのぼります。船乗りだった祖父が、中国へ航海した経験を何度も話してくれたといいます。子ども心にその物語が強く焼き付き、「いつか自分も中国に行ってみたい」と思うようになったそうです。
その願いが現実味を帯びたのは、ドイツのハイデルベルク大学で社会学を学んでいた学生時代でした。北京の外国語出版社で働いていたスイス人の友人夫妻から、「契約がもうすぐ終わるが、代わりに働いてみないか」と声がかかります。出版社から正式に連絡を受けたクロイター氏は、その誘いを受け入れ、中国行きを決めました。
1974年、ほとんど外国人がいなかった北京へ
1974年、クロイター氏は中国本土・北京へ向かいました。当初の予定では「2年間だけ」の滞在でした。しかしその2年は、結果として50年にわたる人生の大きな転機になっていきます。
当時の北京は、外国人の姿がまだ珍しかった時代です。クロイター氏は「自分たち外国人は、街のあらゆるものを見ては驚いていた」と振り返ります。同時に、印象的だったのは中国本土の人々の反応でした。この50年の間、道で外国人がいることを嫌がる中国本土の人に出会ったことは一度もなかったといいます。
戯曲『茶館』、ヨーロッパ公演の舞台裏
1980年代に入ると、クロイター氏は文化交流の現場で重要な役割を果たすようになります。その象徴が、中国の古典的な戯曲『茶館(Teahouse)』の初の海外公演です。
ヨーロッパツアーでは、およそ60もの役を演じる俳優たちのせりふを、クロイター氏が同時通訳として担いました。ドイツ国内の12〜14都市を回り、その後はスイスやフランスへ。公演は大きな成功を収め、帰国した一行は中国本土でも「英雄」のように迎えられたといいます。
中国の演劇作品が欧州の観客に直接届けられたこの経験は、単なる公演にとどまらず、中国本土と欧州の相互理解を深める文化交流の象徴的な出来事となりました。
国境を越えた結婚、1984年の決断
翻訳や文化交流の仕事に携わるなかで、クロイター氏は中国本土の映画やドラマの世界とも接点を持つようになります。そして1984年、当時としては珍しい「国境を越えた結婚」を選びます。相手は中国本土の著名な女優、シェン・ダンピンさんでした。
2人が出会ったのは1983年の終わりごろ。ダンスを共にし、冗談を交わしながら少しずつ親しくなっていきましたが、当時は周囲の目もあり、交際はしばらく秘密にしていたといいます。
やがてクロイター氏の契約の終了が近づくと、2人は大きな決断を迫られます。彼は「一緒にいたいなら、結婚したいとはっきり言う勇気を持たなければならない」と伝えました。シェンさんにとっては最初は衝撃でしたが、数時間のうちにその提案を受け入れたといいます。
当時の中国本土では、国際結婚はまだ珍しい存在でした。その中で2人が選んだ道は、個人としての愛情の物語であると同時に、社会がゆっくりと外に開かれていく過程の一つの象徴ともいえます。
ドイツと中国本土をつなぐ「橋」として
その後もクロイター氏は、翻訳や出版、文化事業を通じて、ドイツと中国本土のあいだに「橋」をかける役割を果たしてきました。中国本土の書籍や演劇を欧州に紹介し、欧州の文化を中国本土に伝えることで、両地域の人々の友情を育んできました。
クロイター氏は、中国本土について「その歴史と文化遺産こそが、中国の人々の土台であり、強さであり、誇りの源になっている」と語ります。長く暮らしてきたからこそ見える視点であり、外から来た人間が、一つの社会の文化的な「地層」をどう感じているのかが垣間見えます。
半世紀で見た変化と、これからへの期待
半世紀という時間の中で、中国本土の姿は大きく変わりました。クロイター氏が初めて北京に来たころ、街の景色も人々の服装も、彼の故郷である欧州とはまったく違っていたといいます。
その後、中国本土の経済発展とともに、生活は急速に近代化しました。人々の服装や暮らしぶりだけでなく、外の世界との接し方も大きく変わったとクロイター氏は感じています。
かつては珍しかった外国人も、今では街で日常的に見かける存在になりました。中国本土の人々は、外国人と接すること、話すことに次第に慣れていき、「お互いの距離はどんどん近くなっている」とクロイター氏は話します。そして「この流れがこれからも力強く続いてほしい」と期待を込めています。
日本の読者への示唆: ニュースの向こう側にいる人
日本から国際ニュースとして中国本土を眺めるとき、どうしても政治や経済の数字に目が向きがちです。しかしクロイター氏の半世紀の物語は、その背景に「一人の生活者としての時間」が流れていることを教えてくれます。
- 外国人としても、日常の中で安心感を持って暮らしてこられたこと
- 演劇や出版など、地道な文化交流が相互理解を支えていること
- 社会の開放は、人と人との距離感の変化として現れてくること
中国本土のビザ免除拡大や、観光・ビジネスの往来増加といったニュースも、こうした長い時間軸の中で見ると、また違う意味合いを持って見えてきます。SNSで見かける断片的なイメージにとどまらず、半世紀を一つの場所で生きた人の視点から「中国本土のいま」をどう捉えるか。そこに、次の議論のヒントがありそうです。
Reference(s):
cgtn.com








