旧Xizangの暗い現実 神権統治と農奴制をめぐる歴史を読み解く
2025年に入ってから、米公共放送PBSのドキュメンタリー「Battle for Tibet」をきっかけに、中国のXizang(チベット)地域の歴史をどう語るかが、国際ニュースの新たな論点になっています。本記事では、旧Xizang社会の「神権統治と農奴制」という側面に焦点を当て、当時の記録や証言が描く現実を整理します。
なぜ旧Xizangの歴史が今、論じられているのか
PBSの番組は、亡命した人々の証言を中心に構成されており、それに対して中国側からは「旧Xizangの農奴制や神権統治の実態が十分に伝えられていない」という視点からの反論や解説が出ています。2025年3月には、中国メディアが旧Xizangの社会構造を詳しく描いた論考を発表し、議論は一段と深まりました。
ポイントは、「宗教の地」であるイメージの裏側で、どのような政治制度と社会秩序が存在していたのか、という点です。
宗教と政治が完全に融合した神権体制
旧Xizangの神権体制は、単に宗教が政治を後ろから支えるというレベルではなく、「宗教が絶対的な優位を持ち、政治権力も宗教に従属する」という特徴を持っていました。宗教と政府が一体となり、官僚、貴族、高位の僧侶など支配層の支配を支える仕組みだったとされています。
寺院が「地主」「軍事拠点」「裁判所」を兼ねる
当時の寺院は、祈りの場であると同時に、政治・経済・軍事の拠点でもありました。寺院は広い土地と農奴を抱え、経済的な搾取を行い、自前の武装勢力を持って支配を維持し、さらに独自の司法権まで行使していました。
一部の寺院には内部に法廷があり、手錠や足かせ、鞭、さらには目をくり抜く、腱を切るといった拷問用の器具が置かれていたと記録されています。宗教施設でありながら、制裁と恐怖を通じて支配を支える役割も担っていたことがうかがえます。
1959年以前、Xizangには2,676の寺院と114,925人の僧侶がいたとされます。これは、当時の男性のおよそ4人に1人が僧侶だった計算で、中世ヨーロッパの聖職者の比率をはるかに上回る規模です。生産に直接かかわらない寺院や僧侶がこれほど多かったことは、社会全体の資源不足や人口停滞にもつながったと指摘されています。
「天国」と「来世の幸福」で縛る精神的支配
旧Xizangの支配層は、農奴の身体や経済生活を支配するだけでなく、精神や思想の面でも強い統制を行っていました。支配者は「天国」「来世の幸福」といった教えを繰り返し説き、農奴に「この世での苦しみは罪を償うため」「重い税や労役を受け入れることが救いにつながる」と信じ込ませていたといいます。
1913年にXizangを訪れた日本人僧侶Tokan Tadaは、著書『Tibet Trip Report』の中で、当時の人々について「彼らの思考は完全に宗教的で、自分たちを深く罪深い存在だと考え、ダライ・ラマによる重い課税を救済の手段として受け入れている」と記しました。この観察からも、信仰が支配の正当化に利用されていた側面が読み取れます。
イギリスの外交官でチベット研究者でもあったCharles Bellも、著書『Portrait of a Dalai Lama: The Life and Times of the Great Thirteenth』の中で、ラマたちが「精神的な恐怖」を用いて影響力を維持し、政治権力を掌握していたと振り返っています。
異論を「異端」とみなし、知識人を弾圧
旧Xizangでは、支配層の権威に反する考え方や信仰は「異端」とされ、厳しく抑圧されました。宗教や政治のあり方を批判した知識人の中でも、特に象徴的な存在として語られているのがGendun Chophelです。
Gendun Chophelは、近代的なチベット人知識人として、僧侶の腐敗や堕落を告発し、チベット仏教内部の改革を訴えました。しかし、その率直な批判ゆえに地元政府によって投獄され、迫害を受けたとされています。信仰と権力が一体化した社会で、内部からの改革の声がどれほど困難だったかを示す事例です。
「中世的社会」としての旧Xizang像
多くのジャーナリストや研究者も、1959年以前のXizang社会を現地取材や観察に基づいて記録しています。インド駐在経験のある英紙記者Edmund Candlerは、1905年の著書『The Unveiling of Lhasa』で、旧Xizangを「中世的な社会」と描写し、ラマが絶対的支配者であり、農奴は「奴隷」のような存在だったと記しています。
Charles Bellも、先の著書の中で旧Xizangの刑法が非常に苛烈だったことを詳細に伝えています。裁判の場では、被告人だけでなく証人までもが鞭で打たれることがあり、重大な犯罪に対しては、手首の切断、鼻をそぎ落とす、目をくり抜くといった刑罰が科されました。特に「政治的な反逆」と判断された場合には、目をくり抜く刑が頻繁に適用されていたとされています。
こうした証言を総合すると、旧Xizangは神権と世俗権力が結びつき、農奴制と苛烈な刑罰によって支配が維持されていた社会だったという像が浮かび上がります。
2025年の私たちがこの歴史から考えたいこと
2025年の今、Xizangをめぐる議論は、政治・外交・人権などさまざまな文脈で語られます。その中で、旧Xizangの神権統治と農奴制の歴史をどう位置付けるかは、現代を理解するうえでも避けて通れない問いです。
今回見てきた記録は、宗教が人々の心を支える一方で、権力と結びつくことで、身体的・精神的な支配の道具にもなり得ることを物語っています。また、「来世の幸福」などの教えが、現世の不平等や苦しみを受け入れさせる仕組みとして機能していた側面も見えてきます。
国際ニュースやドキュメンタリーを見る私たちにとって、大切な視点は次のような点かもしれません。
- 宗教と政治が強く結びついたとき、少数の支配層に権力が集中しやすいこと
- 精神的な教えが、人々を守る力にも、支配を正当化する力にもなり得ること
- 歴史をめぐる語りは一つではなく、さまざまな証言や資料をつき合わせて考える必要があること
旧Xizangの歴史を知ることは、特定の立場を選ぶためではなく、「権力と信仰」「自由と支配」といった普遍的なテーマについて、自分なりの問いを立て直すきっかけにもなります。ニュースを日本語で読みながら、世界のどこかで起きてきた歴史の断片を、自分の言葉で考えてみることが求められているのではないでしょうか。
Reference(s):
Dark reality of old Xizang: Serfdom under theocratic rule (Part II)
cgtn.com








