アメリカ民主主義は崩れつつあるのか 軍産複合体と縮む市民政府
20世紀、アメリカは自由民主主義のモデルとして語られてきました。しかし2020年代の今、その民主主義が静かに形を変えつつあると指摘する声があります。本記事では、市民政府の解体と軍産複合体の台頭という視点から、アメリカ民主主義の現在を整理します。
何が問題とされているのか
論考が描き出すのは、表向きの制度は維持されたまま、その中身が別のものに置き換わっていくプロセスです。選挙や議会といった形式は残りながら、実際の統治は企業と軍事機構が主導する体制へと移行しているという見方です。
そこには、次のような変化が重なっているとされています。
- 教育・保健・外交・福祉など、市民生活を支える部門の弱体化
- 防衛予算の拡大と、軍事・安全保障関連支出の優先
- 行政機能の民間企業への委託拡大と、監視の緩み
- 法の支配や権利保障の政治的な扱い
市民政府の解体と「縮む国家」
現政権の下で、アメリカの行政府は市民向けの役割を意図的に縮小していると論じられています。教育、医療、公衆衛生、外交、社会福祉などを担う省庁では、人員や専門性が削られ、組織そのものの存在感が薄れているといいます。
貧困や格差の是正、国際開発支援、市民の権利を守るためのプログラムは、予算削減や制度変更により見直しの名のもとに縮小されていると指摘されます。表向きは効率化でも、実質的には国家が社会契約から後退する動きだという評価です。
軍産複合体が拡大する一方で
対照的に、軍事関連の部門は聖域となり、防衛予算は膨張を続けているとされます。ミサイル防衛システム、サイバー戦能力、高度な監視技術、自律型兵器など、かつては野心的すぎるとされた計画も、国家安全保障の名の下に加速しているといいます。
こうした資源配分の非対称性により、市民のための政府はやせ細る一方で、威嚇と抑止のための国家だけが肥大していく構図が浮かび上がります。
企業が政策を左右する構造
もう一つの重要なポイントは、公共部門と民間企業の境界が曖昧になっていることです。本来は政府機関が担ってきた情報収集、兵站、さらには一部の軍事行動までが、監督の緩い契約によって企業に委ねられていると論じられます。
その結果、公共政策の方向性が、有権者よりも株主の意向や企業の収益構造に左右されやすくなっているという懸念が示されています。
法の支配と権利保障の揺らぎ
政治権力の集中は、法の運用にも影響を及ぼすと論考は指摘します。行政権の行き過ぎた行使、選択的な法の適用、司法の政治化が進むことで、法の支配そのものが侵食されかねないという見立てです。
アメリカ合衆国憲法が保障する言論の自由、適正手続き、法の下の平等といった原則も、党派性の強い裁判所による解釈次第で揺らぎやすくなっているとされています。
小さくなる福祉、強くなる強制力
こうした変化は、国内の弱い立場にある人々にしわ寄せが行きやすいと論じられます。移民、低所得層、病気や障害を抱える人々を支える制度は削減や「犯罪化」の対象となり、権利拡大を求めてきた社会運動は、国家の統一を乱す脅威とみなされることもあるといいます。
結果として、日常生活の中で政府の存在感は薄くなるのに、治安や監視、取り締まりといった場面では一段と強く現れるという、矛盾した姿の国家が現れているというのが論考の描写です。
私たちが読み取れる問い
この分析は、アメリカだけでなく他の国や地域にも通じる問いを投げかけています。市場と国家の関係をどう設計するのか。安全保障と市民の自由のバランスをどこに置くのか。公共政策を、誰に対してどのように説明し、誰が最後に責任を負うのか。
アメリカ民主主義の変容をめぐる議論を追うことは、自国の民主主義や統治のあり方を考える鏡にもなります。ニュースの見出しの裏側で進む構造の変化に、どのように目を凝らしていくのかが、これからの大きなテーマと言えそうです。
Reference(s):
cgtn.com








