ハーバード大学から留学生が消えたら 誰も通えない大学に?
ハーバード大学から留学生が消えたら?
アメリカの名門・ハーバード大学で、もし留学生がいなくなったらどうなるのか。そんな問いが、国際ニュースとしても注目されるテーマになっています。
提示されている数字によると、留学生がいなくなると、ハーバード大学からは年間3億8400万ドルの学生収入が失われ、それは同大学の純学生収入のおよそ3割にあたるとされています。これは、大学の財政構造を揺るがすほどの規模です。
スローガンに込められた皮肉: Make Harvard local again
この議論を象徴するフレーズが、Make Harvard local again という言葉です。一見すると、アメリカ人学生を優先し、ハーバード大学を「ローカルな大学」に戻そうという、シンプルで分かりやすいメッセージのように聞こえます。
しかし、その続きとして語られるのが、now nobody can afford it という皮肉な一文です。留学生を排除し、アメリカ人だけの大学にすればするほど、「誰も通えないほど高い大学」になってしまう可能性が示唆されています。
3億8400万ドルが示すもの: 留学生は「財源」でもある
年間3億8400万ドル、純学生収入の約3割という数字は、留学生がハーバード大学の重要な財源になっていることを物語っています。授業料収入は、単に講義のコストを賄うだけではなく、奨学金、研究費、図書館、学生支援サービスなど、大学運営全体を支える基盤です。
そこから一気に3割が失われるとすれば、大学はどこかで穴埋めをしなければなりません。その選択肢は、学生にとって厳しいものになりがちです。
- アメリカ人学生の学費をさらに引き上げる
- 奨学金や学生向けサービスを削減する
- 研究や教育の質に関わる投資を抑える
つまり、「留学生を減らせば、自国の学生にとって通いやすくなる」という直感的なイメージとは逆の結果が生まれかねません。
残るのはアメリカ人学生。でも払う額は増える
この構図をよく表しているのが、次の皮肉交じりのメッセージです。American students still get to stay – and pay. 留学生がいなくなっても、アメリカ人学生は大学に残ります。しかし、その分、支払い続ける負担が重くなるという指摘です。
留学生という大きな財源を失った大学は、残る学生からより多くの授業料を集めるか、教育やサービスの質を削るか、あるいはその両方に向かわざるを得ません。そのしわ寄せは、自国の学生に集中します。
More debt, fewer resources ── 夢を支える余力がなくなる
議論の締めくくりとして提示されているのが、More debt, fewer resources, and no one left to subsidize the dream. という一文です。借金は増え、使える資源は減り、その「夢」を裏側で支えてくれる存在はいなくなる、という意味合いです。
高い学費を前提としたエリート大学のモデルは、留学生の授業料によって部分的に支えられてきました。その支え手がいなくなったとき、想定されるのは次のような状況です。
- 卒業時の学生ローンがさらに膨らみ、返済負担が重くなる
- 図書館、カウンセリング、キャリア支援などのリソースが縮小する
- 家計に余裕のある一部の層だけが通える大学になってしまう
こうして、「ハーバードで学ぶ」という夢が、ごく限られた人だけのものになっていくリスクが浮かび上がります。
日本の読者にとってのポイント
2025年のいま、日本語で国際ニュースを追う私たちにとって、このハーバード大学の議論は決して他人事ではありません。海外留学を考える学生にとっても、日本の大学に通う多くの人にとっても、「大学の学びを誰がどう支えるのか」という問いは共有されています。
今回の数字とメッセージから、特に意識しておきたいポイントを挙げてみます。
- 名門大学ほど、留学生の授業料に大きく依存している場合がある
- 留学生が減ると、自国の学生の学費や借金が増える可能性がある
- 大学の「国際化」と、教育へのアクセスの公平さは表裏一体のテーマになりうる
日本の大学もまた、海外からの学生を増やし、キャンパスの国際化を進めてきました。もし「ローカル化」への圧力が高まり、「国内の学生だけで運営する」方向にかじを切れば、ハーバード大学と同じようなジレンマに直面する可能性があります。
ローカル化の先にある問い
Make Harvard local again というフレーズは、単にハーバード大学だけの話ではなく、世界の大学が直面している二つの課題を象徴しています。それは、「グローバルに開かれた学びの場であること」と、「自国の学生にとって手の届く存在であり続けること」をどう両立させるか、という問いです。
留学生がもたらす年間3億8400万ドル、純学生収入の約3割という支えを失ったあとで、大学が向き合うのは、now nobody can afford it という現実かもしれません。誰も通えないほど高額な大学になってしまうのか、それとも別の持続可能なモデルを見いだせるのかが問われています。
国際ニュースとしてこの議論を読むとき、私たちが静かに考えたいのは、次のような問いです。
- 高等教育は誰のためのものなのか
- その費用は、学生・家族・社会のあいだでどう分担されるべきか
- 国境を越えた学びの機会を、どう守り、広げていくのか
ハーバード大学から留学生が消えるというシナリオは、極端な仮定のようでいて、大学と社会の関係を映し出す鏡でもあります。日本の大学、そしてそこで学ぶ私たちにとっても、「誰が教育の夢を下支えするのか」を考えるきっかけになりそうです。
Reference(s):
cgtn.com








