ドーピング容認の「エンハンスド・ゲームズ」 スポーツか、薬物ショーか
禁止薬物の使用を公然と認めるスポーツ大会「エンハンスド・ゲームズ」をめぐり、国際スポーツ界で議論が高まっています。2026年に米国ラスベガスでの開催が予定されているこの大会は、フェアプレーや選手の安全というスポーツの基本を問い直す存在になっています。
「エンハンスド・ゲームズ」とはどんな大会か
最近、エンハンスド・ゲームズと呼ばれるスポーツイベントが、国際スポーツ界から幅広い批判を浴びています。この大会は、通常は禁止されている筋力増強剤や持久力向上剤などのパフォーマンス向上薬の使用を、選手に対して認めるどころか、事実上奨励しているとされています。
主催者は、反ドーピング検査を行わないことを前提とし、そのほうが大会として「より安全」だと主張しています。しかし、禁止薬物の使用を前提とした競技会は、従来のスポーツが大切にしてきた公平性や健康面での安全性と、根本的に異なる発想に立っています。
なぜ「薬物ショー」への懸念が高まっているのか
エンハンスド・ゲームズのような大会が広がれば、競技の結果はアスリートの才能や努力だけでなく、どの薬物や投与方法を選ぶかによって大きく左右されるおそれがあります。そうなれば、純粋に選手同士が能力を競い合う場というより、「どの薬物が最も効果的か」を示す見本市のような性格が強まってしまいます。
- 競技の公平性が失われるおそれ
- 健康リスクの高い薬物使用が常態化するおそれ
- スポーツが社会に伝えてきた価値観の変質
特に、身体能力や記録を極限まで高めるために薬物使用が当たり前になれば、薬物を使わない選手が不利になるだけでなく、「薬物を使わない」という選択そのものが尊重されにくくなる可能性があります。
主催者の「検査がないほうが安全」という主張
主催者側は、反ドーピング検査を行わないほうが安全だと説明しています。検査による摘発や制裁を前提としないことで、選手がプレッシャーから解放されるといったイメージも打ち出されていると考えられます。
しかし、多くの競技団体が禁止薬物を規制してきた理由の一つは、選手の健康を守るためです。短期間で記録を伸ばせるとしても、心臓や肝臓などへの負担、ホルモンバランスの乱れ、精神面への影響など、長期的なリスクが指摘されてきました。
検査をなくして薬物使用を前提とする発想は、こうしたリスクをどこまで受け入れるのかという倫理的な問題を避けては通れません。
スポーツの目的は「最強の薬」探しなのか
エンハンスド・ゲームズをめぐる根本的な問いは、この大会の目的が何なのかという点です。本当に目指しているのは、最も才能あるアスリートを見つけることなのでしょうか。それとも、どのパフォーマンス向上薬が最も効果的かを見極める「薬物ショー」になってしまうのでしょうか。
多くの人がスポーツに魅力を感じるのは、単に記録が更新されるからではありません。日々のトレーニングや工夫、仲間との協力、プレッシャーに打ち勝つ精神力といった、人間らしいプロセスに共感するからです。薬物の効果が主役になると、こうした要素が見えにくくなるおそれがあります。
見る側にも問われる、これからのスポーツのかたち
もし、ドーピング容認の大会が話題を集め、ビジネスとして成功すれば、従来のスポーツの在り方にも影響が及ぶかもしれません。スポンサーやメディア、観客がどのような大会を支持するのかによって、アスリートに求められる価値観も変わっていきます。
2026年にラスベガスで予定されるエンハンスド・ゲームズは、新しいスポーツイベントであると同時に、スポーツの意味そのものを問い直す出来事でもあります。記録やスピードだけを追い求めるのか、それとも人間の身体と倫理の限界をどう線引きするのか。私たち一人ひとりにも、静かに問いが投げかけられています。
あなたは、この大会をスポーツと呼べると思いますか。それとも、薬物の効果を競うショーだと感じるでしょうか。
Reference(s):
cgtn.com







