アジアの性的マイノリティ:法は進んだが意識は追いつくか
国際ニュースの中で性的マイノリティ(LGBTQ)の人権は、ここ数十年で大きく動いてきました。一方で、法律の前進と人々の意識の変化とのあいだには、いまもギャップがあります。本記事では、中国本土や香港、ネパールの事例と、ニュージーランドの映画祭で上映された短編ドキュメンタリーを手がかりに、アジアで何が変わり、何がまだ変わっていないのかを整理します。
ネパールの路上で始まった取材
南アジアで性的マイノリティの問題を取材していた記者が最初に直面したのは、20年以上前、ネパールで起きた暴力事件でした。あるゲイの男性が刃物で首を切りつけられ、路上に倒れたまま放置されたのです。幸い、男性は一命を取りとめましたが、その出来事は、性的マイノリティがどれほど危険と隣り合わせの状況に置かれていたかを象徴していました。
当時、性的マイノリティへの偏見や暴力は、タブー視され、ニュースとして大きく取り上げられることも多くはありませんでした。被害者が声を上げにくい空気も強く、問題は「見えないまま」になりがちだったといえます。
20年余りで進んだ「法」の変化
しかし、そのネパールではその後、大きな変化が起きました。現在の憲法では、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアなど、多様な性的指向や性自認を持つ人々からなるLGBTQコミュニティの権利が、幅広く保障されるようになっています。
かつて「西洋よりも保守的」と見られがちだったアジアでも、同じように変化が進んできました。その中には、中国本土や香港での節目となる動きも含まれます。
中国本土・香港での節目
- 1997年:中国本土で同性愛が非犯罪化される。
- 2001年:中国本土で同性愛が精神疾患の分類から外される。
- 2023年:香港が、4年ごとに開かれる国際的なスポーツ・文化イベント「ゲイ・ゲームズ(Gay Games)」の共同開催地となる。
こうした出来事は、国家レベルで性的マイノリティに対する見方や扱いが大きく変わりつつあることを示しています。2025年現在も、アジア各地で法制度や公的な取り組みは前進を続けています。
それでも時間がかかる「心」のアップデート
一方で、法律や制度が変わっても、個々人の考え方や価値観がすぐに変わるわけではありません。とくに次のような人びとのあいだでは、意識の変化には時間がかかることが指摘されています。
- 十分な教育を受ける機会が限られてきた人
- 比較的高い年齢層の世代
- 大都市ではなく、小さな都市や農村部で暮らす人
身近にオープンなLGBTQの人がいない場合、「性的マイノリティ」という存在自体を具体的に想像しにくく、ステレレタイプや偏見がそのまま残ってしまうことがあります。都市部の若い世代と、地方の高齢世代のあいだで、同じテーマに対する受け止め方が大きく異なるケースも少なくありません。
短編ドキュメンタリーが映す現実
こうしたギャップを理解するうえで、映像作品は一つの手がかりになります。最近、ニュージーランドで開かれたDoc Edge Festivalという映画祭では、「Correct Me If I Am Wrong」というタイトルの23分のドキュメンタリー作品が上映されました。
この作品は、性的マイノリティをめぐる問題を扱った作品などを見るときには、「国家レベルでは制度が進んでいても、個々人の考え方は一様ではない」という点を意識する必要があることを、視聴者に思い出させる例として挙げられています。
映像を見るときに意識したいポイント
こうしたドキュメンタリーを見るとき、次の点を意識しておくと、より立体的に国際ニュースの背景が見えてきます。
- いつ・どこの話なのか:法律や社会状況は、国や地域、年代によって大きく異なります。
- 映っている人は「一部」であること:作品に登場する家族や地域コミュニティの反応を、その国全体の姿だと決めつけないことが大切です。
- 国家レベルの変化と個人の意識は別のスピードで動く:法制度が進んでいても、日常生活のなかでの言動が追いつくには時間がかかります。
この前提を持って映像を見ることで、「この国は遅れている」「あの社会は進んでいる」と単純にラベルを貼るのではなく、より具体的な理解に近づくことができます。
アジアの変化を自分ごととして受け止める
ネパールで20年以上前に起きた暴力事件から、現在の憲法での権利保障までの歩み。中国本土での非犯罪化や医学的な位置づけの変更、そして香港での国際イベント共同開催。アジアは、この間に確かに大きく変化してきました。
同時に、家庭や地域社会レベルでは、いまも葛藤や対立が残る場面があります。だからこそ、ニュースや映画、ドキュメンタリーを通じて、他地域の現実を知り、自分自身の考え方や言葉を少しずつ更新していくことが重要になっています。
国際ニュースを日本語で追う私たち一人ひとりが、アジアで起きている変化を「遠いどこかの話」ではなく、自分のまわりの人権や多様性の問題とつなげて考えてみる。その積み重ねが、法と意識のギャップを埋めていく小さな一歩になるのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








