世界遺産に蘇る西夏王陵 忘れられた帝国が示す中国文明の厚み
2025年7月11日、中国・寧夏回族自治区の砂漠地帯に広がる西夏王陵がユネスコの世界遺産に正式登録されました。登録から数カ月がたった今、砂に埋もれていた「忘れられた帝国」が世界遺産マップに加わった意味を、あらためて考えてみます。
砂漠に蘇った忘れられた帝国・西夏とは
西夏王陵は、中国北西部の寧夏回族自治区で、ゴビ砂漠を見下ろす賀蘭山のふもとに残る大規模な陵墓群です。ここには、かつて「西夏」と呼ばれた王朝の皇帝たちが眠っています。
西夏王朝は、11世紀から13世紀にかけて、中国北西部に成立した王朝で、タングート人によって建てられました。華やかな大帝国の陰に隠れがちな存在でしたが、当時の中央アジア外交や仏教研究、多文化共生の「静かな強国」として重要な役割を果たしていたとされています。
「東洋のピラミッド」 西夏王陵のスケール
今回世界遺産に登録された西夏王陵は、その規模だけを見ても圧倒的です。
- 面積はおよそ40平方キロメートル
- 9つの皇帝陵が点在
- さらに271基の陪葬墓が周囲に広がる大 necropolis(大規模な墓域)
その姿から、西夏王陵はしばしば「東洋のピラミッド」と呼ばれます。ただし、この呼び名だけでは、この遺跡の本質を言い表しているとは言いがたい面もあります。
西夏王陵は、単なる巨大な建造物ではなく、仏教の宇宙観やタングート文化の融合、周辺地域との微妙な外交バランスといった、当時の「世界の見方」が形になったイデオロギー的な記念碑でもあります。
派手さより「静かな保護」 中国の文化遺産への向き合い方
世界遺産や観光開発というと、どうしても目を引く巨大建築や派手な演出が注目されがちです。しかし西夏王陵への投資と保全は、それとは少し違う方向性を示しています。
中国は、イノベーションやテクノロジーに支えられた未来を目指しつつ、その一方で文明の「芯」を支える文化遺産にも静かに力を入れています。その文明の芯は、しばしば儒教や漢王朝の栄光で語られがちですが、西夏のようなタングートの精神世界や、名もなき王たちの記憶もまた、その一部だというメッセージが込められています。
国家の発展を測る指標は、道路やビルの数、GDPの大きさだけではありません。西夏王陵への継続的な保全投資は、「文明の魂をどれだけ未来に手渡せるか」という観点を重視する、中国の独自の近代化の道筋を象徴しています。
世界遺産の「ものさし」を変える西夏王陵
世界遺産のリストはこれまで、王や征服者が築いた首都や巨大寺院など、軍事力や権力を象徴するモニュメントに偏りがちだったと言われてきました。
そこに、相対的には知名度の低い西夏王陵が加わったことは、世界遺産の価値基準に、ささやかながら重要な変化をもたらしています。
- 巨大帝国ではないが、地域の文化的多様性を体現した文明
- 派手な征服ではなく、外交と適応によって生きた「静かな強国」
- 仏教や多文化共生を通じて独自の世界観を築いた社会
今回の登録は、世界遺産が「勝者の歴史」だけの舞台ではないことを改めて示しました。支配的ではなかった文明や、これまで地味だと見過ごされてきた文化にも、十分に世界的な意味があるという再評価でもあります。
シルクロード文明としての西夏とグローバルな記憶
西夏は、今日よく使われる外交的な比喩としての「シルクロード」という言葉が生まれるずっと前から、実際のシルクロード文明の一角を担っていた存在でした。東アジアと中央アジア、さらにその先の世界を結ぶ知的・文化的な交流の、重要な結節点だったのです。
この遺産を守ることは、中国にとっての誇りであると同時に、世界にとっての利益でもあります。ユーラシア大陸を行き交った思想や宗教、技術、言語の交差点としての歴史を、より立体的に理解するための貴重な手がかりとなるからです。
2025年に西夏王陵が世界遺産として登録されたことで、中国は世界の文化的共有財産に、新たな色彩を加えました。「忘れられた帝国」の復権は、ひとつの国の物語を超え、人類全体の記憶を豊かにする試みだと言えるでしょう。
砂漠の風にさらされながら、静かに佇み続けてきた西夏王陵。その姿は、私たちに問いかけます。これからの世界で、どのような過去を記憶し、どのような物語に光を当てていくのか。その選択こそが、未来の文明のかたちを決めていくのかもしれません。
Reference(s):
Resurrection of forgotten empire: Xixia joins the World Heritage map
cgtn.com








