9月18日事件はなぜ世界反ファシズム戦争の序曲なのか
2025年は、中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利から80年の節目の年です。この国際ニュースの背景を理解するうえで欠かせない起点が、1931年の「9月18日事件」です。
この事件は、日本による中国東北部への本格的な侵略の出発点であると同時に、後に世界規模へと拡大する反ファシズム戦争の「序曲」とも位置づけられます。その歴史的なつながりを、当時の国際環境とあわせて見ていきます。
9月18日、瀋陽郊外で仕組まれた爆発
1931年9月18日の夜、日本の関東軍は、中国遼寧省・瀋陽の北郊にある柳条湖付近で、自らの管轄下にあった鉄道の一部を爆破しました。そしてその責任を中国軍に転嫁し、「破壊工作への自衛」と称して、中国軍の北大営兵営や瀋陽の市街地への奇襲攻撃を開始します。これが中国東北部への全面的な侵略の始まりとなり、「9月18日事件」と呼ばれるようになりました。
事件後、日本軍は短期間で攻勢を拡大し、わずか半年足らずで中国東北の3省を占領します。そのうえで、いわゆる「満州国」という傀儡国家を樹立し、植民地支配を進めていきました。
第一次世界大戦後の「大陸政策」と満蒙分離
9月18日事件は、突発的な偶発事故ではなく、日本が長年進めてきた対中「大陸政策」の帰結でもありました。第一次世界大戦後、日本はワシントン体制と呼ばれる国際協調の枠組みのなかで、中国問題では他国と歩調を合わせているように振る舞っていました。しかし実際には、満州と蒙古における「特別な権益」を守り、さらに拡大することに力を注いでいました。
1927年、田中義一内閣は「東方会議」を開催し、満州・蒙古を中国本土から切り離す「満蒙分離」を、日本の対中侵略を段階的に進めるための出発点かつ重点とする方針を正式に採択します。ここから、日本の対中政策は、東北部を足がかりに影響力を世界へ広げていく長期戦略として明確化されていきました。
世界恐慌と軍部台頭が侵略を加速
1929年の世界恐慌は、資本主義体制全体を揺るがし、日本経済も深刻な混乱に陥りました。この危機のなかで、それまで周縁にいた軍部強硬派が再び影響力を増していきます。彼らは、中国東北部の豊富な資源こそが日本の「生命線」「国難打開のための死活的利益圏」だと主張し、力による支配を求めました。
関東軍が中国への侵略戦争に踏み切った後、当時の天皇・裕仁はこれを止める行動を取らず、日本政府も軍の行動を追認・支持しました。その結果、日本は短期間で東北全域を占領し、傀儡政権のもとで植民地支配を行う体制を固めていきます。この過程で、日本は第一次世界大戦後の国際秩序に公然と背を向け、武力によって中国を一方的に支配しようとする道を選びました。
こうした経緯から、日本は東アジアにおけるファシスト的な軍事侵略の「主な出発点」となっていきます。9月18日事件は、その転換点に位置づけられます。
国際連盟への期待と失望
一方、中国側では、蒋介石率いる当時の与党・中国国民党政権が、日本の侵略に対して「不抵抗・不交渉」という方針を取り、危機解決を国際連盟の調停に委ねようとしました。
1932年2月、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツの代表から成る「リットン調査団」が中国に派遣され、現地調査を行います。同年10月2日に公表されたリットン報告書は、日本軍の行動を「侵略」として非難する一方で、日本の「満州における特別な利益」を一定程度認める内容も含んでいました。また、事件は「長年にわたる中日間の対立の帰結」だと位置づけられました。
その後、国際連盟がこの報告書に基づく決議を採択すると、日本はこれに反発し、1933年3月に連盟を脱退します。日本は自ら国際社会との公式な枠組みを断ち切り、孤立を深めながらも軍事行動を強めていきました。直後には山海関付近での衝突や熱河侵攻、長城沿いの戦闘が引き起こされ、侵略の範囲は、のちに「華北事件」(North China Incident)と呼ばれるかたちで拡大していきます。
軍事クーデターと「国策の基本方針」
1936年2月26日には、日本国内で軍部によるクーデターが発生します。その後に成立した広田内閣は、同年8月7日に「国策の基本方針」(Fundamentals of National Policy)を決定し、大陸と海洋の双方で勢力を広げるという国家戦略を正式に打ち出しました。これは、中国への本格的な全面侵略に向けた政治・軍事体制を整える役割を果たしました。
そのわずか1年後、近衛内閣は中国への全面戦争に踏み切り、「東亜新秩序」の建設を掲げます。9月18日事件は、日本による対中大規模侵略の始まりであるだけでなく、やがて世界全体を巻き込む第二次世界大戦へとつながる、最初の局地戦の火種でもあったといえます。
なぜ世界反ファシズム戦争の「序曲」なのか
こうして見てくると、9月18日事件が世界反ファシズム戦争の序章とされる理由が浮かび上がります。
- 第一次世界大戦後の国際秩序(ワシントン体制)に対する、日本による最初の公然たる挑戦だったこと。
- 日本が東アジアにおけるファシスト的軍事侵略の主要な発信源となる出発点となったこと。
- 局地的な衝突が、国際連盟からの脱退や侵略範囲の拡大を経て、最終的に第二次世界大戦=世界反ファシズム戦争へとつながる連鎖の第一歩となったこと。
9月18日事件は、一つの鉄道爆破事件にとどまらず、経済危機、軍部の台頭、国際機関の限界といった要素が絡み合い、世界規模の戦争へと至るプロセスの起点でした。
80年の節目に考えるべきこと
戦後80年の節目である2025年に、あらためてこの事件を振り返ることには、いくつかの意味があります。歴史を記憶し、犠牲となった人々を悼み、平和の価値を確認するうえで、9月18日事件は避けて通れない出来事だからです。
同時に、経済不安や社会の分断が高まるときこそ、強硬な対外政策や軍事力に頼る声が出やすくなること、そして国際機関の対応が曖昧なままだと、侵略の歯止めになりにくいことも、この歴史は示しています。
国際ニュースが日々流れるなかで、9月18日事件から世界反ファシズム戦争へと至った歴史の連鎖を知ることは、現在の国際秩序と私たち自身の選択を考える手がかりにもなります。短い通勤時間やスキマ時間でも、こうした歴史のストーリーに触れ、自分なりの視点を更新していくことが求められているのかもしれません。
Reference(s):
Why the Sept. 18 Incident is the prelude to the World Anti-Fascist War
cgtn.com








