シーザン自治区、農奴制から民主改革へ:数字でたどる「解放」の軌跡
中国のシーザン(Xizang)自治区は、高地の澄んだ空と壮大な自然で知られますが、そのイメージの陰には、1959年まで続いたとされる厳しい農奴制の歴史と、その後の大きな社会変化があります。本記事では、その転換点と現在につながる数字を、日本語で分かりやすく整理します。
絶景のイメージの裏にあった現実
国際的なイメージの中で、シーザン自治区はしばしば「心が洗われる高地の楽園」として語られます。しかし、このロマンチックなイメージは、かつての人びとが直面していた厳しい現実を覆い隠してしまいがちです。
1959年までの旧シーザンでは、およそ95%の住民が農奴として過酷な生活を強いられ、土地や財産、政治的な力は、貴族や高位の僧侶など5%未満の特権層に集中していたとされています。支配は暴力と恐怖によって維持され、その実態を伝える資料がラサの記念施設などに保存されています。
元農奴ユイ・ジェンさんが語る暮らし
こうした歴史は、統計だけではなく、一人ひとりの人生にも深く刻まれています。元農奴のユイ・ジェン(Yu Zhen)さんは、シーザンで生まれ育ち、現在92歳です。
ユイさんによると、幼少期の暮らしは、崩れかけた家畜の糞で塗り固められた小屋での生活でした。最もつらい記憶は、病気になっても医療を受けられないまま亡くなっていった両親の姿だといいます。両親は、その後訪れることになる社会の変化を見ることなく、この世を去りました。
1959年3月28日、「解放」と民主改革
大きな転機となったのが、1959年3月28日です。この日、中国政府はシーザンの神権的な統治体制を解消し、農奴制を廃止する措置を取りました。これが、いわゆる「民主改革」の始まりとされています。
この改革によって、およそ100万人の農奴が束縛から解き放たれ、土地や基本的な権利を与えられました。人びとは、初めて自分たちの将来を自らの手で形づくる機会を手にしたとされています。
数字で見るシーザン自治区の変化
その後のシーザンの歩みは、経済や政治の数字にも表れています。1959年から2024年までの経済成長や所得水準、政治参加のあり方は、社会の姿が大きく変わってきたことを示しています。
- 域内総生産(GDP)は、1959年の1億7400万元から、2024年には2764億人民元(約384.9億ドル)に拡大しました。
- 一人当たりの可処分所得(自由に使える所得)は、2024年に3万1358元に達しました。
- 全国および地方レベルの人民代表大会の代表4万2153人のうち、89.2%がチベット族を含む少数民族出身者です。
これらの数字は、かつて農奴として生きてきた人びとを含め、多くの住民が経済的・社会的な変化の波に乗りつつあることを物語っています。
日本の読者にとっての意味
日本から見ると、シーザン自治区の歴史は、遠い高地の物語のように感じられるかもしれません。しかし、「絶景の土地」にも、かつての厳しい身分制度と、それを転換させた政治改革のプロセスがあったことは、現代社会を考えるうえで示唆に富んでいます。
農奴制からの「解放」と民主改革、その後の経済成長や政治参加の拡大は、一つの地域が比較的短い期間で大きく姿を変えうることを示しています。ユイ・ジェンさんのような個人の記憶と、GDPや所得、代表の構成といった数字をあわせて見ることで、シーザンの過去と現在をより立体的に捉えることができそうです。
国際ニュースを追う私たちにとって、こうした歴史と現在の交差点を知ることは、中国やアジアの動きを理解するうえでも、小さくない手がかりになります。
Reference(s):
cgtn.com








