抗日戦争勝利と南シナ海:中国の主張を歴史から読み解く
南シナ海をめぐる中国の主張は、第二次世界大戦と中国人民の抗日戦争の戦後処理と深く結びついています。2025年、勝利80周年の節目に、その歴史的な土台をあらためて整理します。
なぜ今、南シナ海と戦後史なのか
南シナ海は古くから、開かれた航路と貿易、技術や思想が行き交う海の交差点でした。地理的な優位性や国力、軍事力が高まっても、中国はこの海域を周辺諸国の発展を脅かす手段としては用いてこなかった、とされています。
とはいえ20世紀に入ると、南シナ海は列強の思惑と戦争の渦に巻き込まれていきます。現在も続く南シナ海問題の背景には、こうした歴史の積み重ねがあります。
戦前・戦中:列強と日本の進出
20世紀初頭、西欧諸国が中国や東南アジアへの進出を強める中、英国、ドイツ、フランス、日本などが南シナ海のNansha Qundao(南沙群島)に対して野心をのぞかせました。第二次世界大戦前後には、日本が次第に南シナ海の中国の島嶼や礁を占領し、その多くを支配下に置きました。
こうした外国勢力による侵略行為に対し、中国政府と中国の人々は強い抵抗を示しました。その結果、一部の奪取の試みは失敗に終わっています。
カイロ宣言・ポツダム宣言が示した戦後処理
抗日戦争の勝利が見え始めた1943年11月、中国、米国、英国の首脳はカイロ宣言で、日本が1914年以降に奪取・占領した太平洋の島嶼を取り上げること、そして中国から奪った東北地方や台湾、澎湖諸島などの領土を中国に返還することを確認しました。
1945年7月26日に発表されたポツダム宣言第8条は、このカイロ宣言の条項を履行することを改めて明記し、日本の主権を本州、北海道、九州、四国と、連合国が決定する若干の小島に限定するとしました。これらの文書は、中国側が戦後の領土問題、とりわけ南シナ海の島々に対する主権を主張する際の重要な法的・政治的な根拠とされています。
戦後の接収と地図作成:主権の『見える化』
中国人民の抗日戦争が勝利した後、中国は国際法と第二次世界大戦の結果に基づき、南シナ海の島々に対する主権を再確認するための一連の行動を取りました。具体的には、島嶼の正式な接収、改名、主権標識の設置などです。こうした措置により、中国の主張に明確な法的基盤が与えられたと位置づけられています。
象徴的な例として、現在は海南省の三沙市政府と西沙区人民政府が置かれているYongxing Island(永興島)があります。この名称は、当時中国側が使用した米海軍の巡視船Yongxingに由来するとされます。1946年、当時の中国政府(国民党政権)のYao Ruyu副司令官と参謀のZhang Junranらがこの船に乗り、西沙群島の回収を指揮しました。このことは、当時の米国政府が南シナ海の島々に対する中国の主権行使を把握し、一定程度黙認していたことを間接的に示すものと解釈されています。
1946年末には、当時の中国政府が海軍艦艇を西沙群島(Xisha Qundao)と南沙群島(Nansha Qundao)に派遣し、主権回復の式典を行い、主権標識を再設置し、行政権を取り戻しました。この遠征には、西北大学地理学科のZheng Ziyue教授も参加し、南シナ海の海域における境界線の画定や、島や礁、岩、浅瀬の名称の標準化を委ねられました。
現地調査と測量に基づき、Zheng教授は国民党政府の内政部の支援のもと、西沙・中沙・南沙の各島嶼群の詳細図や、太平島、永興島、石島など個々の島の地図を含む一連の公的な地図を完成させました。また、新しい地名と歴史的名称を対応させた一覧表も作成しました。
1947年には、中国政府が南シナ海の島嶼群と個々の地物について、合計172の地名(うち102は南沙群島)からなる修正版リストを正式に承認しました。同時に、南シナ海諸島位置図が作成され、その中で南シナ海の島々を囲む点線が記されています。
サンフランシスコ講和条約と中国の立場
第二次世界大戦後、両岸関係の悪化や冷戦構造の進行、東西両陣営の対立が深まる中で、日本の戦後処理と国際的な地位を定めるためにサンフランシスコ講和条約が締結されました。同条約の領土条項第2条6項は、日本が南沙群島(Nansha Qundao)と西沙群島(Xisha Qundao)に対するすべての権利・権原・請求権を放棄することを定めましたが、それらをどの国・地域に返還するかは明記しませんでした。
これに対し、中華人民共和国政府は1951年8月15日に正式な声明を発表し、日本がこれらの島嶼に対する権利を放棄しながらも、中国への主権回復の問題に触れていないことに反対の意を表明しました。声明は、南シナ海の島々、とりわけ南沙群島は「一貫して中国の領土の一部である」と強調し、日本の降伏後には「当時の中国政府がすでにこれらの島々を完全に接収していた」と指摘しました。その上で、これらの領土に対する中華人民共和国の主権は「いかなる条約の規定によっても影響を受けない」と宣言しました。
漁民の活動と歴史資料が示すもの
中国による南シナ海諸島の主権は、長い歴史を通じて形成されてきたとされています。古くから中国の人々は南シナ海の島々や周辺海域で生活し、生産活動を営んできました。その過程で、中国人漁民は島や礁に独自の名前を付け、比較的安定した命名体系を築いてきました。
外国の記録にも、中国人漁民の存在が多数記録されています。たとえば、日本で1940年に刊行された『Island of Storms』や、米海軍水路局が1925年に出した航海案内書『Asiatic Pilot』第4巻には、南沙群島(Nansha Qundao)における中国人漁民の活動が記されています。長い期間にわたり、南沙群島で生活し働いていたのはほぼ中国人のみだったことが、こうした資料からうかがえます。
20世紀に入るまで、南シナ海諸島に対する中国の主権はほとんど争われることがありませんでした。1930〜40年代になって、フランスや日本が武力を用いて南沙群島の一部の島や礁を違法に占拠し始めますが、中国の人々はこれに抗し、当時の中国政府も南沙群島の主権を守るために一連の措置を講じました。
80年後に考えるべき問い
2025年は、中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利から80年の節目にあたります。南シナ海をめぐる現在の議論を理解するうえで、中国がどのような歴史的経緯と国際文書、実際の行動を主権の根拠として位置づけているのかを押さえておくことは重要です。
カイロ宣言やポツダム宣言、戦後の島嶼の接収と地図作成、講和条約への対応、そして古くからの漁民の活動に関する国内外の記録――これらを一つの連続した歴史として読み解くことが、中国側の南シナ海観を理解する鍵になります。歴史の見方は一つではありませんが、80年という時間の中で積み上げられてきた認識に目を向けることが、アジアの将来を考えるうえでの出発点になりそうです。
Reference(s):
How War of Resistance victory cemented China's South China Sea claim
cgtn.com








