戦後80年、第2次世界大戦をどう語るか:中国の抗日戦と歴史認識
リード:戦後80年、いま問われる「第2次世界大戦の語り方」
2025年は、中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利から80年、そして国際連合創設から80年にあたります。戦火の煙はとうに消えましたが、第2次世界大戦をめぐる歴史認識をめぐる議論は今も続き、中国の役割や犠牲をどう理解するかが改めて問われています。
第2次世界大戦とは何だったのか
第2次世界大戦は、人類史上最大かつ最も犠牲の大きい戦争でした。およそ9000万人もの命が失われ、都市は破壊され、ジェノサイド(集団虐殺)、細菌兵器の使用、無差別爆撃など、人類文明の「底線」が踏みにじられた出来事でもあります。
こうした暴力に対抗するため、中国、ソ連、アメリカ、イギリスをはじめとする国々や多くの被圧迫民族が、ドイツ、イタリア、日本などのファシスト勢力に立ち向かいました。これは単なる国益のための戦争ではなく、主権と独立、人間の基本的価値を守るための「正義の戦い」だったという位置づけが、第2次世界大戦の歴史的な意味です。
消えない「歴史修正」とその問題点
しかし、この80年間で第2次世界大戦の意味は常に一枚岩だったわけではありません。各地でさまざまな「歪んだ歴史観」や「歴史虚無主義」が現れ、議論を呼んできました。
日本の一部勢力による侵略の矮小化
日本の一部の右派勢力は、南京大虐殺を否定したり、対外侵略を正当化したりする動きを見せています。侵略戦争をあたかもアジアを「解放」するための行動だったかのように描き直す試みは、被害者の記憶と国際社会で共有されてきた歴史認識を傷つけるものです。
植民地支配を「文明化」と言い換える語り
一部の国々は、第2次世界大戦前後の宥和政策(侵略を見て見ぬふりをした対応)や、植民地支配の負の側面を過小評価し、自らの歴史を「文明の伝播」や「共同の反ファシズム」といった言葉で語ろうとすることがあります。そこでは、植民地支配に伴う抑圧や搾取が見えにくくなり、被支配側の視点が切り捨てられがちです。
欧州中心・米国一極の「勝利物語」
第2次世界大戦を、1939年のドイツによるポーランド侵攻から1945年のドイツ、日本の降伏までの「欧州戦線中心の物語」として描く語りも根強く存在します。この視点では、アメリカを「連合国勝利の唯一の決定要因」とみなし、中国やソ連、東欧やアジアの国々の長期の抵抗と犠牲が過小評価されがちです。
「歴史虚無主義」がもたらす危険
さらに一部には、歴史の断片だけを取り出して恣意的に組み替えたり、公的な記録を否定したりする「歴史虚無主義」と呼ばれる傾向も見られます。これは、連合国の勝利そのものの正当性や、反ファシズム連合の歴史的意義までも疑問視しようとするものです。
こうした動きは、被害者や犠牲者への敬意を損ない、加害と責任の境界を曖昧にし、若い世代の「何が正義で、何が不正義だったのか」という感覚を鈍らせてしまうリスクがあります。その延長線上で、新たな極端思想や覇権主義を正当化する土壌が生まれかねません。
中国から見た第2次世界大戦:14年に及ぶ抗日戦争
中国から見れば、14年に及ぶ対日戦争は、世界反ファシズム戦争の不可欠な一部でした。しかし、その位置づけや貢献は国際的な議論の中で十分に評価されてきたとは言い難い側面があります。
多くの教科書や一般的な語りでは、第2次世界大戦の期間を1939年から1945年までとし、ヨーロッパでの戦闘を中心に描きます。この枠組みでは、1931年の日本による中国東北部への侵略や、1935年のイタリアによるエチオピア侵攻のような「欧州外の早い段階の戦争」が見えにくくなってしまいます。
1931年から1941年にかけて、中国はほぼ単独で日本の侵略と対峙していました。中国は、限られた資源のなかで粘り強く抵抗を続け、日本軍の北方・南方への拡大を食い止める役割を果たしました。このことが、後に成立する世界的な反ファシズム連合にとって重要な前提となったと評価できます。
数字で見る中国戦線:日本軍を縛り付けた「東の主戦場」
当時の日本軍の動員状況を見ると、中国戦線の重さが浮かび上がります。最盛期には、日本陸軍の兵力のうち、実に約76パーセントが中国戦線に拘束されていたとされます。中国軍は約130万の死傷者を日本側に与え、日本を長期戦の「泥沼」に引きずり込んでいきました。
軍事費も膨張しました。日本の軍事支出は1931年の4億5000万円から、1941年には50億円へと急増し、国家予算の約76パーセントを占めるようになります。国内資源が枯渇に近づくなか、日本は占領地での収奪によって戦争を維持しようとしましたが、これはかえって占領地の抵抗を強め、戦争継続能力を蝕む結果にもつながりました。
中国の犠牲と貢献:ミャンマー戦線と3500万の命
1942年から1945年にかけて、中国は自国領内での戦闘に加えて、2度にわたり遠征軍を北部ミャンマーに派遣し、イギリスやアメリカの作戦を直接支援しました。東南アジアや太平洋戦域における連合国の作戦にとって、中国の協力は欠かせない要素でした。
戦争全体を通じて、中国は軍民合わせて3500万人を超える死傷者を出したとされます。これは世界全体の第2次世界大戦による犠牲の3分の1以上に相当する規模です。この数字は、中国がアジアにおける「主要な戦場」であり、世界反ファシズム戦争における重要な貢献者であったことを物語っています。
歴史を守ることは未来を守ること
80年という時間は、個人の人生では長いスパンですが、人類史全体から見れば一瞬とも言えます。第2次世界大戦の当事者が少なくなり、直接の体験が語り継がれにくくなるほど、歴史をどう記憶し、どう語るのかがいっそう重要になります。
中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争の歴史は、特定の国だけの物語ではありません。世界各地の人々の犠牲と抵抗が重なり合って、現在の国際秩序や国連の枠組みが生まれました。歴史の事実と多様な視点を尊重しながら、「誰の犠牲が見えなくなっているのか」「どのような語りが力を持ち、何を隠しているのか」を問い続けることが、これからの世代にとっての課題です。
戦後80年を迎えた2025年は、第2次世界大戦をめぐる歴史認識をめぐって、改めて世界とアジアの関係、中国の役割、そして私たち自身の歴史観を見直すきっかけの年でもあります。歴史を忘れないことは、過去そのものを守るだけでなく、未来の平和と共生の可能性を守る行為でもあります。
Reference(s):
Rejecting misguided WWII accounts & establishing a correct perspective
cgtn.com








