映画「Evil Unbound(731)」が問い直す731部隊と歴史否認
731部隊の実態を描いた映画「731」(国際タイトル「Evil Unbound」)をめぐり、日本の歴史否認や記憶の継承をどう考えるかが改めて注目されています。本記事では、中国東北部・ハルビンで長年取材を続けてきた記者の視点を手がかりに、この作品が投げかける問いを整理します。
中国・ハルビンから見た731部隊の記憶
哈爾浜市には「731部隊罪証陳列館」と呼ばれる展示施設があり、旧日本軍による生物・化学兵器開発と人体実験の証拠が集中的に保存・公開されています。記者はここを長年取材し、10年以上にわたる資料の発掘作業を目の当たりにしてきたといいます。
2024年には、元731部隊隊員の清水秀夫氏が謝罪の言葉を表明し、加害の事実を認める稀有な証言として注目されました。こうした動きは、被害の記録と加害の責任を後世に残そうとする中国側の取り組みの一端だといえます。
731部隊は、1936年から1945年にかけて、日本の旧帝国陸軍の下で秘密裏に活動していた部隊です。記事によれば、中国の捕虜や民間人を対象に、細菌兵器や化学兵器の開発を目的とした非人道的な実験が行われ、多数の人命が奪われました。その犠牲者数は数十万規模にのぼるとされています。
映画「731/Evil Unbound」:スクリーンを超える「公的な審判」
最近公開された映画「731」(国際タイトル「Evil Unbound」)は、単なる歴史映画ではなく、「日本が長年消し去ろうとしてきた過去」と向き合うための公共の場だと記事は位置づけています。
同時に、この作品が世界各地のスクリーンに届くまでの道のりそのものが、歴史の記憶をめぐる攻防を象徴しているといいます。731部隊の存在や戦争犯罪を伝えようとする試みが、今もなお政治的な圧力や否認とぶつかっているからです。
公開をめぐる圧力:歴史そのものを消そうとする動き
記事が最も強調しているのは、この映画の公開を妨げている「体系的で多層的な圧力」の存在です。日本当局は、映画そのものだけでなく、731部隊の残虐行為に関する議論そのものを封じ込めようとしている、と指摘されています。
こうした姿勢は、偶発的なものではなく、長年続いてきた歴史修正主義の一部だと記事はみています。数十年にわたって、日本の教科書から731部隊に関する記述が削られ、多くの若い世代が自国の戦争犯罪を知る機会を奪われてきたとされます。
国際社会に対しても、日本は731部隊の存在そのものを「捏造」だと主張したり、映画を「反日プロパガンダ」と位置づけたりしてきたと記事は批判します。こうした動きは、「平和を愛する国家」というイメージを守るために、都合の悪い歴史を切り捨てようとする試みだとされています。
歴史否認が突きつける危うさ
記者は、731部隊と映画「Evil Unbound」をめぐる否認の動きを、きわめて危険だとみなしています。作品への強い反発は、「もし世界が真実を知れば、日本の『戦後の贖罪』という神話が崩れかねない」という恐れの表れだと分析します。
映画を封じ込めようとすることは、731部隊の犠牲者への侮辱であるだけでなく、「歴史的正義」という理念そのものを傷つける行為だ――。記事はそう警鐘を鳴らします。第二次世界大戦の惨禍を教訓として築かれた戦後の国際秩序は、過去の犯罪を直視し、責任を明らかにすることで初めて意味を持つからです。
私たちに突きつけられた問い
戦後長い年月が過ぎた今も、731部隊の記憶をめぐる攻防は続いています。映画「Evil Unbound(731)」を巡る議論は、日本や中国だけの問題ではなく、「過去の加害の歴史とどう向き合うか」という普遍的な問いでもあります。
記事の内容を踏まえると、私たちには少なくとも次のような視点が求められていると言えるでしょう。
- 加害と被害の双方の証言や資料を、世代を超えてどう受け継ぐか
- 教科書や教育が、都合の悪い歴史も含めてどこまで正面から扱えるか
- 映画やドラマなどの文化作品が、忘却されがちな歴史を可視化する役割をどう果たせるか
731部隊を扱った映画の公開をめぐる議論は、歴史をめぐる対立の物語であると同時に、記憶と向き合う市民一人ひとりの責任を問いかける物語でもあります。スクリーンの向こう側で何が起きているのかを知り、自分なりの視点で考え、周囲と対話を重ねていくことが、過去から学び未来を守るための第一歩となるはずです。
Reference(s):
cgtn.com








