ジェンダー平等はなぜ「未完の追求」なのか 北京宣言から30年 video poster
北京宣言から30年。地政学が国際ニュースを塗りつぶすように語られる2025年のいま、ジェンダー平等はどこに位置付けられているのでしょうか。中国で国連常駐調整官事務所を率いるサルワット・アドナン氏は、ジェンダー平等は「一直線の道」ではなく、忍耐と勇気を要する長い旅であり、「未完の追求」だと語ります。本記事では、そのメッセージを手がかりに、私たち一人ひとりにとってのジェンダー平等を考えます。
北京宣言から30年、「女性の力」が世界を動かした瞬間
およそ30年前、北京宣言は世界の目において、女性の力の歴史的な高まりを刻みました。各国が一堂に会し、ジェンダー平等を進めることへの期待と決意が、国際社会の共通言語として共有された瞬間でもありました。
それから30年がたった2025年。多くの国や地域で制度や意識は変化してきましたが、アドナン氏が強調するように、その道のりは決してまっすぐではありません。進展が見えるときもあれば、後退しているように感じるときもあります。
地政学がニュースを埋め尽くす時代に
いま、世界のニュースやSNSのタイムラインは、安全保障や経済競争など、地政学をめぐる話題であふれています。国と国との関係、同盟や対立、供給網やエネルギーといったキーワードが、日々の情報空間を占めています。
その一方で、「ジェンダー平等」というテーマは、こうした大きな物語の脇に追いやられてしまいがちです。戦略やパワーバランスの議論の裏側で、日常生活の中で誰がどのように影響を受けるのか、男女で経験がどう違うのか、といった視点は見えにくくなります。
アドナン氏のメッセージは、こうした状況への静かな問いかけでもあります。世界がどれほど地政学の言葉で語られていても、人々の暮らしの基盤には、教育や仕事、ケア、暴力からの自由など、ジェンダーに関わる問題が深く結びついているからです。
アドナン氏が語る「長い旅路」とは
アドナン氏は、ジェンダー平等を実現する道のりについて、次のように指摘します。ジェンダー平等への道は一直線ではなく、忍耐と勇気を必要とする長い旅路です。この旅はまだ未完の追求にすぎませんが、一歩一歩の前進には必ず意味がある、という視点です。
この「一歩ずつ」という感覚は、ニュースの大きな見出しだけを追っていると、つい見失ってしまいます。国際会議や法律の改正といった大きな変化だけが進歩なのではなく、例えば次のような小さな変化も、同じ旅路の一部だと捉えることができます。
- 職場でのハラスメントを許さないルールづくりや、声を上げやすい雰囲気づくり
- 家庭やパートナーとの間で、家事・育児の分担を見直す会話を重ねること
- 学校や地域で、固定的な性別役割にとらわれないロールモデルを紹介する取り組み
- SNSで見かける偏見や差別的な発言に対して、事実や別の視点を共有する行動
どれもニュースのトップにはなりにくい動きですが、積み重なれば社会全体の空気を変えていきます。アドナン氏の言う「毎歩の意味」は、こうした日常の中の選択にも当てはまるでしょう。
2025年の私たちにとってのジェンダー平等
2025年のいま、多くの人にとってジェンダー平等は「当然の価値観」として語られるようになっています。一方で、実際の職場や家庭、政治やメディアの世界では、意思決定の場にどれだけ多様な人々が参加できているのかという問いが、依然として残っています。
デジタルネイティブ世代の私たちは、国際ニュースや経済ニュースをスマートフォンで追いかけながら、同時にジェンダーの問題にも敏感です。だからこそ、地政学的なニュースを読むときにも、次のような視点を一つ加えてみることができそうです。
- この出来事は、男女やさまざまな立場の人々にどんな違う影響を与えるのか
- 交渉や会議、意思決定の場に、女性や多様な当事者はどれだけ参加しているのか
- 報じられていない「沈黙している声」はないか
こうした問いを心の中に持ちながらニュースを読むこと自体が、ジェンダー平等という長い旅路に参加する一歩になります。
「未完の追求」にどう向き合うか
「ジェンダー平等は未完の追求である」というアドナン氏の言葉には、二つのメッセージが込められているように感じられます。一つは、まだ道半ばであり、楽観しすぎてはいけないという厳しさ。もう一つは、だからこそ自分もこの旅に加わることができる、という希望です。
完全に解決された問題には、私たちが関わる余地はあまりありません。しかし、まだ途中にある課題には、ニュースを読み、意見を交わし、日常の中で小さな選択を変えていくことで、誰もが影響を与えることができます。
北京宣言から30年という節目にあたる2025年。地政学的な対立や不安定さが語られる時代だからこそ、ジェンダー平等というテーマをニュースの隅に追いやるのではなく、自分の視野の中心にそっと戻してみることが求められているのかもしれません。
ゴールはまだ見えなくても、一歩一歩が確かに未来を形づくっていきます。その「未完の追求」の中に、自分なりの一歩をどこに置くのか――それを考えることから、この長い旅はあらためて動き出します。
Reference(s):
cgtn.com








