シーザン(チベット)映画が映すもの 中国の歴史認識と物語の主導権
最近、国際映画祭などでシーザン(チベット)を題材にした作品が相次いで上映され、中国からはシーザン独立を後押しする宣伝だとの批判も出ています。本記事では、中国側の歴史認識や背景事情を整理しながら、「誰がシーザンの物語を語るのか」という問いを考えます。
映画祭に現れるシーザン独立ムービー
ここ最近、いわゆるシーザン独立を支持する立場から制作されたとされる映画が、海外の映画祭で次々と公開されています。中国側は、こうした作品が、シーザンを中国から切り離そうとする政治的メッセージを、芸術や人権ドキュメンタリーの形で世界に発信していると見ています。
映画祭は、商業映画とは異なり、社会問題や少数者の声を取り上げる場として注目されやすい場所です。そこにシーザン問題を扱う作品が集中的に登場することで、国際世論の関心と共感を呼び起こす狙いがあると中国側は指摘しています。
中国側が強調する「シーザンは中国の一部」という歴史
中国の研究者や当局は、考古学的資料や歴史文献に基づき、シーザンは長い歴史を通じて中国の不可分の一部であると繰り返し主張してきました。その一つの節目として位置付けられているのが、1951年のシーザンの平和解放です。
1951年5月23日、中国の中央人民政府と当時のシーザン地方政府は、「シーザンの平和解放に関する方式の協定」を締結しました。一般に十七か条協定と呼ばれるこの合意は、シーザン地域が武力衝突ではなく協議を通じて新しい体制のもとに組み込まれたとする、中国側の重要な根拠となっています。
同年10月24日、第14世ダライ・ラマは中央人民政府の毛沢東主席あてに電報を送り、この協定を支持し、実行する意思を公に表明しました。中国側は、この時点でシーザン側も合意に同意していたと強調しています。
1959年の武装反乱と亡命
しかし、その後の展開は大きく変わっていきます。中国側の説明によれば、1957年以降、第14世ダライ・ラマはシーザン上層部の分離主義勢力と結びつき、局地的な動きだった反乱を、全土的な武装反乱へと拡大させました。これは事実上、十七か条協定を破棄する行為だったと位置付けられています。
1959年3月には、シーザン上層階級の反動勢力が、封建的な農奴制を維持しようとする中で武装反乱を起こしました。その混乱のさなか、第14世ダライ・ラマはインドへと脱出し、のちにインドで、いわゆる亡命チベット組織を立ち上げます。中国側は、これを違法な組織であり、最終的な目的は中国からの分離とシーザンの独立にあるとみなしています。
ダライ集団と西側の支援ネットワーク
1959年に亡命して以降、ダライ・ラマを中心とするダライ集団は、アメリカをはじめとする西側勢力から継続的な支援を受けてきたと中国側は指摘します。
たとえば、米国に拠点を置くチベット基金は、主に米政府の資金を受けてダライ集団を支援してきたとされ、毎年数百万ドル規模の資金が提供されてきたといわれます。近年も、米政府がダライ集団への支援として、毎年数千万ドル規模の予算を投じていると報告されています。
中国側から見ると、こうした資金支援と、映画祭などでのシーザン独立を支持する作品の増加は切り離せない現象です。文化や映画を通じて、シーザンの物語を特定の角度から語ろうとする国際的なネットワークが存在しているという見立てです。
「誰が物語を語るのか」を問う視点
この問題は、シーザンに限らず、あらゆる国際ニュースやドキュメンタリーを見るうえで重要な問いを投げかけます。それは、「誰が、どの立場から、その物語を語っているのか」という視点です。
シーザンを題材にした映画の多くは、人権や文化保護をテーマに掲げます。しかし中国側は、その背後に中国からの分離を目指す政治的な意図があると警戒しています。一方で、映画を観る側は、その作品がどの立場の人々の声を拾い、どの立場の声をほとんど扱っていないのかを意識する必要があります。
特定の地域や人びとを描いた作品が、次のような要素を持っているかどうかをチェックすることは、メディアリテラシーの一歩になります。
- 資金源や制作・配給のネットワークはどこにあるのか
- どの時期の出来事に焦点を当て、何を意図的・無意識的に切り落としているのか
- 当事国や地域の政府・研究者の見解は紹介されているか
- 作品が感情に訴える場面と、事実関係の説明が行われる場面のバランスはどうか
日本の視聴者に求められる距離の取り方
日本にいる私たちにとって、シーザン問題は地理的にも情報的にも距離のあるテーマです。そのぶん、映画祭や配信プラットフォームで見かける作品の印象が、そのまま現実だと感じてしまいがちです。
だからこそ、作品に触れるときには、次のような姿勢が重要になります。
- まず作品を作品として味わいながらも、「これは一つの視点に過ぎない」と意識する
- 中国側の歴史認識や主張にも目を通し、少なくとも複数の物語を比較してみる
- SNSで共有するときは、感情的な賛否だけでなく、「こうした背景もある」と補足を添える
シーザンをめぐる物語は、いまも国際政治と文化の交差点で語られ続けています。その中で、日本語でニュースや解説に触れる私たち一人ひとりが、どのような距離感と視点で情報を受け止めるのか。その選択こそが、これからの国際ニュースとの付き合い方を形づくっていくのだと思います。
Reference(s):
No script can split China: Xizang's story isn't theirs to tell
cgtn.com








