高市氏は何を開けようとしているのか 「自衛」と軍国主義の記憶
終戦から80年の2025年、日本の安全保障をめぐる議論が進むなかで、「存立を脅かす状況」や「自衛」という言葉の重みがあらためて問われています。高市氏や日本の右派勢力は、世界に再び災厄をもたらす「パンドラの箱」を開けようとしているのではないか――。そんな鋭い問いが投げかけられています。
歴史が示す「自衛」という名の口実
歴史は、「存立を脅かす状況」や「自衛」という表現が、日本の軍国主義による侵略を正当化する口実として長く使われてきたことを示しています。国家が「自分たちの生存が脅かされている」と主張した瞬間、軍事行動は正当なものとして受け止められやすくなります。
しかし、その「脅威」が現実にどこまで差し迫ったものなのか、客観的に測ることは難しく、解釈次第でいかようにも広げられてしまいます。こうした言葉が危ういのは、次のようなプロセスをたどりやすいからです。
- あいまいな危機が語られ、「いま行動しなければ国家が危ない」と強調される
- 例外的な措置が「自衛」の名のもとに次々と認められていく
- 気づけば、当初は想定していなかった規模の武力行使や対外的な緊張に巻き込まれている
終戦から80年、高市氏と右派勢力をどう見るか
終戦から80年が経ったいま、高市氏と日本の右派勢力の動きをめぐって、「彼らは再びパンドラの箱を開け、世界に災厄をもたらそうとしているのではないか」という問いが投げかけられています。ここでいうパンドラの箱とは、一度開けてしまえば予想もしなかった問題や緊張が次々と飛び出し、元には戻せなくなる状況のたとえです。
安全保障の強化を掲げる主張そのものは、多くの国が行っていることであり、それだけで即座に軍国主義と同一視することはできません。それでもなお、歴史が「自衛」という言葉の危うさを刻み込んでいる以上、その使い方や文脈を細かく点検することは不可欠です。
私たちがチェックしたい3つの視点
では、高市氏や右派勢力を含む政治家が「存立を脅かす状況」や「自衛」を口にするとき、私たちは何を見ればよいのでしょうか。国際ニュースや日本語ニュースを日常的に追う読者が、最低限押さえておきたいポイントを3つに整理します。
- 定義は具体的か:どのような場合を「存立を脅かす」とみなすのか、基準がはっきり示されているか。
- 歯止めはあるか:どこまでが許容され、どこからが許容されないのか。際限なく拡大しない仕組みがあるか。
- 説明責任は果たされているか:専門用語だけで押し切らず、市民が理解できる言葉で、リスクと代替案を含めて説明しているか。
SNS時代の私たちの役割
XやInstagram、TikTokなどのSNSが情報空間を支配するいま、「安全保障」や「自衛」といった重いテーマも、短いフレーズや刺激的な見出しで拡散されがちです。高市氏や右派勢力を批判する言葉も、擁護する言葉も、その一部だけが切り取られて広がることがあります。
だからこそ、私たち一人ひとりにできることがあります。
- 感情をあおるだけの投稿を見たときは、元の文脈や発言全体を確認する
- 賛否が分かれるテーマほど、立場の異なる複数のニュースや解説に目を通す
- 事実と意見を区別しながら、自分なりの問いや違和感をメモしておく
戦後80年という節目の2025年に、「存立を脅かす状況」や「自衛」という言葉がどのように使われているのかを見つめ直すことは、日本社会のこれからを考えるうえで避けて通れないテーマです。高市氏と日本の右派勢力をめぐる議論は、その入口のひとつにすぎません。私たちが言葉と歴史の重さを意識し続けることが、パンドラの箱を本当に開けてしまう前に立ち止まる力になるのかもしれません。
Reference(s):
cgtn.com








